右肩の脱臼で6ヶ月の休会後、ようやくカーブスの再開にこぎつけた矢先のことだった。ウォーキング仲間から「よくハーハーいうね。」と言われたことを、かかり付け医に告げることから始まった。
 2つの病院で検査入院を受けた結果は、閉塞性肥大型心筋症という難病が告げられた。大学病院での受診を申し込み、初めての受診日に、「手術しますか?やめますか?」と質問された。
 当時主人は、認知症で施設に入所したばかりだった。一人住いでじっくりと養生できると思った。いろいろ考えた末に、「手術をお願いします。」と返事をした。
 二人の嫁いだ娘や孫のために、自分が元気でなければと強く思い、術後に筋トレをして、元の元気な自分の姿を想像していた。
 検査入院から3ヶ月後、大学病院から手術日が告げられた。
 令和元年9月24日に1回目の手術が、続いて10月1日に2回目、10月4日に3回目の手術を受けた。2回目、3回目は後日知る事になる。
 複数の管につながれて意識のない日々が、過ぎていった。主治医の懸命な治療で、順調に心臓の動きも安定していった。
 1ヶ月後、リハビリのために家の近くの病院をさがすように伝えられた。
 体に異変が起こったのは、その頃だった。胸がかゆくなり、右手指でひとかきした時、みるみる全身(頭から足先まで)が、まっ赤になり、すべての皮がはがれた。治療は2週間、毎日病室で施術された。その痛さは、今までに経験した事のない痛さで、毎回泣き叫ぶ姿を見て、主治医は何とかしようと工夫されたのが、施術時に点滴の中に大量の痛み止めを混入する方法がとられた。しかし副作用に、頭のふらつきや、吐き気が続いた。「もう痛さは我慢しますから、痛み止めは止めて下さい。」とお願いした。全身の皮膚は、茶色に変色して次々に割れ目が出来て、新しい肌が見え隠れするようになっていった。75日の入院生活を大学病院で過ごした後に転院した病院では、心臓手術を受けた人だけの心臓リハビリコーナーがあり、1ヶ月半のリハビリで、日増しに動きが向上していくのを実感した。
 退院後自宅での生活は、カーブスでの筋トレを再開するための助走だった。
 カーブスのインストラクターから、電話で再開の誘いも何度かあり、少しずつ気持も高まっていった。しかし、心臓手術という命にかかわる一大事に、カーブスでのトレーニングは大丈夫かなという不安感もあった。
 ある日夢の中で、冥土の旅で三途の川にさしかかった時、坊さんに呼びとめられた。「あなたは、まだ早い!もう一度出直してきなさい。」とさとされた時、夢から覚めた。
 重い心臓病でも一命を取り止められたのだ。再生された命を大切にして、寿命を全うするためには、カーブスでの筋トレは、欠かす事ができないと確信した。
 入会時のように全身全霊で取り組むのでなく、自分の体調に合わせて、力を加減して取り組むことにしよう。当分の間は、週2回を継続していく。術後10ヶ月を経て、念願のカーブストレーニングを再開にこぎつけた。
 とても充実していて、思わず笑顔がこぼれる毎日、カーブスの玄関に一歩入ると、奥の方から、「カツエさん、おはよう」「今日もよく頑張って来られましたね。」格別な笑顔で出迎えてくれるカーブスは、今の私には、欠かすことの出来ない、トレーニングの道場である。