「アスペルガー障害の可能性が高いです」
2013年秋に病院の主治医からそう告知された。当時大学2年生だった私はその事実を受け入れられず、絶望の底にいた。アスペルガー障害は人とコミュニケーションをとることが苦手な障害であり、言語発達の遅れがなく、知的障害を伴わない自閉症である。本人の性格か障害かという境目は明確には存在しないという。
 私は小学生の頃からずっと内向的で友人関係作りが苦手であり、いじめを受けることも多かった。9年前に県外の大学に入学してからは、自分を変えるために大学生協の接客のアルバイトを始めて必死に働いていたが、同僚とのお客様対応の優劣や仕事のスピードの差に悩み苦しみ、私以外の女性の同僚は次々に仕事を任せられ昇進していったが、私は仕事を任せられることも昇進することもなく取り残され、周囲との違いをひしひしと実感したが、対人対応が苦手で仕事のスピードもゆっくりな自分のことを受け入れられずに苦しんでいた。大学の勉強はとても好きだったが、それ以外の友人関係作りは苦手で精神的にひどく落ち込み、勉強にも手がつかなくなって2015年9月末に大学を中退して新潟に戻った。
大学中退後は心も体も極限状態で自宅では寝たきりとなり、「友人も作れない、人とも関われない、大学も卒業できない、就職もできない、もう死んでしまいたい」と嘆く毎日だった。大学を中退したことも自分の障害のことも何も受け入れられずに苦しむ日々で、逃げ場もなく先も見えず、絶望の中にいた。
 2015年10月、私の様子を見かねた母が「前に進むために運動を始めよう」と外出先にあったカーブスの門を叩いたが、当時の私は乗り気でなく車内にいた。母がすぐにパンフレットを貰って来て、体験予約もして来たので驚いた。
カーブス行き始めは人と接するのも怖く、何をする気にもなれず億劫だったが、母が仕事に行く前に一緒に行って運動をし始めた。コーチの方々は私達のことを快く迎えて下さり、こんな私にも笑顔で色々と話しかけてくれてとても嬉しく、次第に「私はここにいていいのかな」と感じ始めた。運動中はコーチから「マシン上手に使えていますね!」「可動域大きく使えていますよ!」と励ましの声を頂き、毎日頑張って運動とストレッチを続けた。来店すると「洋子さん、こんにちは!」と明るく元気な声が聞こえ、「引き締まってきましたね!」「顔色が良くなってきましたね!」と私の日々の小さな変化にも気付いて話してくれて本当に嬉しかった。カーブスに通って数ヶ月経った頃に「最近洋子さんが笑顔になってきているとコーチ皆が言っていますよ!」と言われた時は「私は少しずつ前進しているんだ、良かった」と感じ、自然と涙がこぼれた。
 カーブスが次第に運動習慣となって「社会に出よう」という気持ちが高まり、2016年9月に市内の就労支援施設に通い始めた。施設の訓練は外部の清掃や洗車、食品製造等と立ち仕事・体力仕事が多く、カーブスで鍛えていたのでばてることなくこなせた。訓練で落ち込むことがあった日もカーブスに行き、コーチが元気に温かく接して下さり、運動で気持ちをスッキリさせることができた。運動中も嫌な気持ちになったり、考えてしまう時もあったが、カーブスの運動を通じて気持ちの切り換えも徐々にできるようになったと感じた。前を向く力だけでなく、過大なストレスで過食を続けて増量していた体重は徐々に落ち、体力年齢も入会時の50代前半から40代、30代と若返り、2019年11月に血管年齢18歳、翌年10月に22歳という結果が出た。心と体の成果が現れて周りのカーブスメンバー様から「すごく引き締まりましたね!」「いつも頑張っていますね!」「カーブスに1人で来れていますね!」とお声がけ頂いた時は本当に嬉しかった。今までずっと母が運転する車に乗っていた私だが、施設に通い始めて半年程して自分で運転して施設に通い、母が付いていなくても1人でカーブスにも行けるようになった。そして施設での訓練を開始して約2年半後、目標だった一般企業就職へと結びつくことができた。
 カーブスを通じて社会に出て人と関わっていく勇気を貰え、絶望の底から社会復帰へと這い上がることができた。もしカーブスに出会わずにあのまま家で寝たきりだったら、今の私はない。
今では、平日毎日会社に通い、体力仕事をこなせるまでに成長できた。昨年11月、学生時代に好きだった書道も習い始め、自分の好きなことにも手を伸ばせるようになり、カーブスは私の心と体のリハビリとなっていた。今年に入ってゴールドカードを頂き、これは私の大切な歩みの証と信じている。今後はプラチナカードも目指し、カーブスと一緒に歩んでいきたい。今に至るまで傍で支えてくれた家族、コーチやメンバーの皆様、カーブスに感謝し、これからも社会で働いていけるように頑張りたい。
私が前進できるようにカーブスの門を開いてくれた母へ、本当にありがとう。これからも一緒に運動を続けていきましょうね。私のこれまでの歩みが母への恩返しとなりますように。