今年も桜の季節が巡って来た。「僕の家族は桜が嫌いなんだよ。桜がじいじを連れていったから。」幼稚園の先生から孫の言葉を聞いた。
夫が逝ったその日は、桜吹雪が青空をおおいつくすほど舞って、幼子の心を深く傷つけた。あの日から私も桜が嫌いになった。
 肺癌と宣告された夫と2年間、共に癌と闘い共存した。その2年間は、かけがえのない、愛しい大切な時間だった。延命処置はしないことに二人で決めた。
彼は、会いたい人に会い、子供たちに「お母さんを頼む」と言った。そして私に、また来世で出会って恋をして、結婚しよう。「君は最高の妻」と言った。
間もなく意識が混濁していった。それまで、合間をぬってカーブスに通っていたが、その旨伝えて休むことになった。何もかも彼に頼って生きてきた私は、抜け殻のように、泣いてばかりの日々だった。涙はあとからあとから止めどなく出てきた。友人がいろいろな食べ物を作って届けてくれた。点滴にも通った。
 数ヶ月経って、鏡に映った自分を見て愕然とした。眼は落ち込み唇はカサカサ、見知らぬ老女がいた。写真の夫が「しっかりしろ!」と言った気がした。そうだ、カーブスに行こう。でもいつもの時間には行けなかった。知らない人達の中で静かにそっと終えたかったから。再開の日、カウンターから店長が飛んできてくれた。「京子さん、久しぶりですね。」夫が亡くなったことを告げると、ぎゅっと手を握り締めてくれた。一緒に涙を流してくれた。私の話を聞き終えてから、店長のお母さんが夫と時をたがえず亡くなられた事を教えてくれた。転倒してそのまま亡くなったとの事だった。私は自身を恥じた。この世で一番哀しいのは自分だと思っていた。彼女は一瞬にして大切な人を亡くした。看護もお別れさえもできなかったのに。世の中には、数えきれない哀しみがあり、私より辛い別れがあることを知った。私には大変だったけれど、幸せな2年間があった。
 今、私は楽しくカーブスに通っている。自分自身のために、心の中で生き続ける夫のために。カーブスは悲しみを乗り越えさせてくれた唯一の場所。今度は私が誰かを元気にしてあげる番。
カーブスで。そして何よりも、桜を待っている。