次女が高3の春、受験勉強とダイエットを同時進行させました。12月志望の大学から合格通知が届いた時は、完全な拒食症になってました。私は4月からの一人暮らしのために今のうち食べさせて体力をつけさせようと思いました。だけど娘は、鏡にうつる自分の姿が太ってみえるので、もう勉強しなくていいから、ダイエットに励むぞと思ったのです。本当にこわい病気です。それでも4月に入学させました。こんな子を一人暮らしさせるなんて鬼のような母親だと思われました。だけど私は娘が病気だと自分で自覚してから休学させようと思ったからです。
 私は本を読みまくりました。「真面目で頑張り屋で我慢強い母親の子がなりやすい...」と。どこに我慢したくてする人がいるのか?と本を投げつけました。毎晩タオル一枚びしょぬれになる位泣きました。
 娘は幸い主治医に心を開き、大学2年の夏休み親友との旅行がきっかけで食べはじめました。完治したわけではありませんが無事大学を卒業して、その後結婚して母となりました。
 長い闘病の末義父が亡くなり、義母も施設でお世話になることになりました。これから足を鍛えて山に登るぞと思った矢先膝の痛みに耐えかねて整形外科受診。「あんたの年でこんなひどい膝みたことない。そのうち金具を入れるしかないよ」と。やけ食いしてその体重をかけて自転車で坂を登った結果の変形性膝関節症でした。その後リハビリを頑張りすぎて歩くのも痛くなりました。痛みはそのうち消えたけど、もう何をすればいいのかわからず、このまま私の人生終わり?と思い始めて数ヶ月。
 たまたまスーパーの入口でカーブスに誘われました。いつもだったら目を合わせないようにそっと通るけど、その時はなんとなくひかれて体験の予約をしました。他のカーブスに通ってる友から話を聞いてたので興味もありました。行ってみるととても明るい雰囲気で、とにかくやってみようと入会しました。それぞれのマシンで私の膝に負担がかからないように使い方を丁寧に教えてくれました。もうあの痛みはこりごりだと思ったので、おそるおそるやりました。3ヶ月位たった頃、もらった冊子を見てたら、痛みが次の日の朝まで残らない時は運動を続けていいという文を見つけました。それからは思いきってやってみました。そして嬉しかったのはマシンの姿勢をきちんと教えてくれたことです。なるほど背中をしっかりマシンにつけないと腰が痛くなったりすることがわかりました。
 カーブスの仲間には編み物や洋裁、和服をリフォームしたりと器用な方がいっぱい。コロナでマスクが店頭から消えた時には、手作りのマスクを頂き、感激。
ある日、自転車で遠出してたら、メンバーさんに会いました。「どこに行かれるのですか?」「カーブスよ」「エッ?」「遠回りして行きに運動してるのよ」と。もう脱帽。
さて、私は?毎月の測定は逃げだしたくなります。いい値ではなく、時には増加(笑)「そんなの関係ねぇ~」(小島よしお風に)とはさらさら思ってませんが。娘が病気になった時に、もういいかげんに生きようと決めました。頑張ろうとか、目標に向かって...というのは遠慮して「♬ケセラ・セラ...♬」の気持ちでやってます。それでもいつの間にか正座ができるようになってました。
孫二人が同時に長女に「ばあば、病気じゃない?」「どうして」「今、年とってやせた人は大きな病気が隠れてるって、テレビで言ってたよ」娘は大笑いして「カーブスに行ってるからよ」と答えたそうです。やせたわけではありませんが、ひきしまったのでしょう。一年後には四国の金比羅山の階段が登れました。先日は近くの花尾山(350メートル)に登れました。
 日頃辛口の長女から「ここの線がすっきりしたネ」と。残念ながらオシャレに無頓着な私は、どこをほめられたのかもう忘れてしまいました。だけど当時その話を聞いてくれたコーチは大喜びしてくれました。次女の家に泊まった時、私はカーブスのストレッチを3才の孫と一緒にしました。それからは「おばあちゃんの体操よ。いち、にぃ、さん...」とやってるそうです(笑)中学生の孫は「今からカーブスに行ってくるね」とラインすると「がんばって」のスタンプが届きます。
筋肉のためには、二日に1回のカーブスが理想なのはよ~くわかってます。だけどまあいいか?の感じで、行きたい時に行こうと思ってます。
 コーチから呪文のごとく言われているうちにワーク中にペットボトル一本の水が飲めるようになり、たんぱく質4点も頭の片隅にあって、時にはちょい足しもできるようになりました。
いつの日か、権現山(617メートル)の頂上のもみじがまっ赤に染まる頃登れたらいいなと夢みてます。
あの時、カーブスに誘ってくれて本当にありがとう!!これからもボチボチやっていきます。