もし、あなたが「癌です」
        「認知症です」
        「歩行困難です」
と、宣告されたら、どれが1番嫌ですか?
 どれでも嫌ですよね。この原稿は「歩行困難」を宣告された私が、カーブスに助けられながら、どのようにして立ち上がったかの記録です。

 現在77歳。カーブスに通い始めて8年9ヶ月が過ぎました。その間に2回大きな手術を受けました。週3回カーブスで筋力強化をしていたのに病魔は向こうからやって来て5年前に頸椎手術を受けました。頸椎の骨に突起があって転ぶと神経を切断し、首から下が全身麻痺することもある、との診断で手術以外に方法がなかったのです。怖い気持ちを押し殺し勇気を出して手術に臨みました。1ヶ月の入院期間で危険回避でき退院し体調が戻ったのでカーブスを再開しました。
 4年後の昨々年11月、突然歩けなくなりました。脳が歩きなさいと指令しても足が前に踏み出せないのです。仕方なく杖を使ってやっと歩いていました。しかし、歩けないままではいられないので、パソコンから病名を調べました。「歩けない原因は脊髄からのことがある」と出ました。
 5年前手術を受けた「脊椎脊髄センター」に電話をすると執刀して下さったドクターが、まだいらしたので診察を受けました。いくつかの検査をすると、
「胸椎の10番、11番に異常が見られます。手術をしましょう。」と、簡単に言われてしまいました。またもや病魔が向こうから「こんにちは」も言わずに私の所に押しかけてきたのです。
 手術は全身麻酔なので知らないうちに終わりますが、前の手術の時、通称「地獄部屋」と呼ばれる回復部屋で24時間上向きの姿勢でいた苦痛を思い出して、簡単に「お願いします」の返事が出来ませんでした。悩みぬいて家でパソコンを見ていたら「この病気は投薬・筋力強化・リハビリ等では治らない。手術を勧める。」と出て、覚悟が決まりました。担当医に「地獄部屋」を12時間にして欲しいと頼んでみました。この事は聞き入れられたので言葉にすることは大事なことだと学びました。前の入院の時、2度目の手術の方がいて、あの「地獄部屋」を体験しながら、又も手術をしなければならない「気の毒な方」と思っていたのに、私が、その「気の毒な方」になってしまいました。生身にメスを入れるのですから、それなりの痛みとの戦いではありましたが「他人に我慢できることは私も我慢できる」という精神で乗り切ることができました。
 手術後のリハビリはマンツーマンで1日30分だけしかありません。その分入院期間が長くなります。しかし、退院して普通の生活をすれば、ちょこまか動きをするだろうと思って病院のリハビリを断ち切って3週間で退院しました。ところが退院した2月の我が家は病院と違って寒かったのです。炬燵にあたりっきりでテレビ鑑賞の日々になってしまいました。トイレ以外は席を立つことがなくトイレも壁を伝いながら移動するくらい、自分の足でしっかりと歩く事は出来ませんでした。
 そして退院直後からコロナ騒動が始まりました。今までが病院食で、それほど旨い食べ物に出会わず、美味しいものを食べたい気持ちで帰ってきたのに外食ができませんでした。お勝手仕事をしたことがない夫が作ってくれた食事を頂きました。
 家でちょこまか動きができると思って退院したのに、自分を甘やかしてしまう私は個人ではリハビリは無理と思って地域の整形外科に行って手術後のリハビリを受けたいと申し込んだら、6ヶ月診てくれることが解りました。そして予約制でしたので(他の治療は待ち時間が長い)朝1番にリハビリを受けました。マンツーマンのリハビリだったので殆ど毎日通いました。その頃コロナ騒動がもっと大きくなって病院への出入りが厳しくなりました。アンケート・体温・消毒・マスクが義務付けられました。私は「術後」「糖尿病」「後期高齢者」なのでコロナにかかったら大変です。よほどリハビリをあきらめようと思いましたが、杖歩行から自立歩行になりかかった時なので「自分の足でしっかりと歩きたい」という思いが勝ってコロナ騒動の中でもリハビリを続けました。丁度桜の時期でもあり帰り道にある公園を歩きました。ここは土の道でアスファルトより歩きやすかったのです。花が、順次咲いて、桜・八重桜・ハナミズキ・蓮などを楽しむことができました。蓮池の周りには、いつもカメラマンが構えていて、いつ来るか解らない鳥と蓮の花をカメラに収めるために待っているようでした。その日、私は見ました。池の棒杭にとまったブルーの羽をした綺麗な鳥を。カワセミでした。
 手術後6ヶ月のリハビリを終えて、私はカーブスを再開しました。コロナ対策を守り、換気し、密にならないように工夫された教室でコーチに励まされながら、マシーンに取り組みました。そして休んでみて解ったことが沢山ありました。
 教室に入った8年前は、まだ若かったから、マシーンを簡単に動かすことができました。だからマシーンを軽く考えていました。そして手術後の今、大きく感じるのはマシーンの働きでした。一つ一つがどの筋力を鍛えるためなのかが体を通じて感じることができたのです。特にカーブスを続けた8年間肩こりを感じなかったのはチェストバックとショルダープレスだったことが解りました。カーブスを6ヶ月休んだら、肩こりがひどくなったので解ったことです。どのマシーンにもそれぞれの役割があり、どれもなおざりにできないことを知りました。今ではどのマシーンも使えるようになりました。その姿を見た友人は私の歩けない姿を知っていただけに、涙を流しながら「よくぞここまで頑張ったね」と、声をかけてくれました。私一人の力だけではないのですが1歩1歩努力したことを見ていてくれた友人の言葉は本当に嬉しいものでした。
 また、再開した時のクイズに「2週間の自粛で筋力はどのくらい衰えたか」の答えが「3年7か月」とあって大驚きしました。私は6ヶ月休んだから12倍と考えなくてはなりません。3年7か月の12倍って、いったい何年?恐ろしい数字になってしまいます。
「継続は力なり」「日々の積み重ね」自分一人では運動しない私にとってカーブスこそ、体を動かす源になりました。その外出をきっかけにして買い物や散歩につながり、何とか運動不足から抜け出しています。
 若かった時には解らなかったカーブスの力。病んでみて、休んでみて、その大事さが解ったのでした。これからもカーブスに通い続けます。