カーブスに入会して丸2年。入会する機会はもっと前からあった。近くに店舗オープンした際には体験に来たし、入会した友人からも再三誘われた。
50才代に入り腰痛や五十肩に加え、膝にまで痛みを感じるようになっており、体を鍛える事が必要な事は充分わかっていた。
しかし、どの機会も私の答えはノーであった。

当初、天職である看護師を30年以上続けながら、地域の高齢化、少子化に対し「介護」という問題を深く考え始めていた。
近い将来自分自身避けては通れない問題となる。
健康寿命を伸ばし人生の先輩である高齢者の方に幸せな余生を送っていただきたい、また介護する側となるご家族にも介護に翻弄される事のないご自身の人生を歩んでいただきたい...

無力な私が夢のような事を考えても、役に立つはずがない。
しかし、何もせずに後悔したくなかった私は、一大決心し早期退職、転職した。
そこでの仕事内容は、私の思いを満足させてくれるもので全力を注ごうと思えるものであった。熱い思いに反し大きな問題に直面する事になるとは想像していなかったのである。
人間関係、少人数のスタッフでスクラム組む事ができず心がバラバラになり身も心も崩壊していくのがわかった。まるで昔の積み木崩しのドラマのように、奈落の底まであっという間に崩れ落ちた。

誰にも会いたくない、
何もできない、
動悸がする、
手が震える、
夜1時間の睡眠もとれない、
思考回路が働かない、
私が私じゃない。

私には家族がいる。子どもたちも次々結婚し孫もできた。
周りからは順風満帆な人生と羨ましがられた。
だが、この頃「生きるのが辛い。この世から消えたい。家族の足手まといではないだろうか?」
頭の中はいっぱいだった。どんなにもがいても苦しみは増すばかり。少しでも楽になりたいと、心療内科の受診を決めた。迷いがないわけではなかったが、ほんの少しでも楽にならないと暗闇にいるようで明日を考える事ができなかった。カウンセリングを受け内服治療を始めた。当然、仕事は辞めた。
治療を開始し、惣菜を買うのが精一杯だったのが、一品二品と食事を作れるようになってきた。一人で、食材の買い物にも行けるようになった。ただ、知人に出会うのは怖くて逃げるようにした。

こんな時、カーブスで体調の改善を感じていた母が体験に行こうと誘ってきた。何度か誘われていたのだが、こういう経過をたどっている私は人のいる空間が怖くて拒んできたのだった。無理矢理体験に連れて行かれ、入会も勝手にきめられてしまった。当時の私の正直な心境である。
行きたくなかったが親の顔をつぶす事になる、行かねばなるまい。ましてや、気持ちを察してか、毎回一緒に行こうと誘ってくるのである。
意を決して入るサーキットは、
楽しそうな輪。私には場違いで苦痛であった。私の心を知る人は誰もなく、孤立しそうでこわかった。
苦痛ながらも回数を重ね、ある日メンバーさんが笑っておられる時、声を抑えて微笑む自分に気がついた。また、「こんにちは。」と声をかけてくださったり、こんな些細な事が嬉しかった。何年かぶりに感じるプラスの感情であった。

カーブスで感じる体の変化はもちろんあるが、心の暗闇にロウソクが灯り、その小さな灯火がトンネルの出口のように明るくさらには夜明けのような大きな明るさになる、そんな変化を心の暗闇にもたらしてくれた。徐々にではあるが母に誘われなくても、カーブスには行けるようになって来た。真の自分をさらけ出していい場所つまり私の居場所だと思えるようになってきたのだ。

今、私は通所リハビリのデイサービス職員として働いている。高齢者の方の頑張りに笑顔とエネルギーをいただき、地域の高齢化対策に必要な仕事のポジションにいられる事がありがたい。

心の傷は深く未だ心療内科への通院治療はやめられないが、自分の健康寿命も伸ばし、笑顔になれるカーブスで心に栄養を注ぎながら、3年目となった今日も筋トレに勤しんでいる。