コロナ禍の昨年、私たち夫婦は金婚式を迎える事ができました。50年は長い月日のようでもありましたが、二人三脚で頑張って来ました。
当時は60歳定年制で、主人は未練なく退職し、第二の人生を歩み出しました。早速に地区の役員を授かり、地域の活動も積極的に参加しました。特に、毎年、国府官神社への八俵の餅の奉納も、厄年の時に会長を務めて以来参加しています。また、我々の孫たちが小学校に入学してから、ずっと登下校に子供たちと一緒に歩き、十数年見守り続けて来ました。自分たちが心豊かな生活ができることへの地域への恩返しと考えています。また、時間をみつけては、木工細工にて作品作りに励み、さらに、6年前からグランドゴルフを始め楽しい日々を過ごしていました。
 ところが、11月初め頃、しきりと腰が痛いと口にするようになり、私は病気ではないかと心配になり、かかりつけの先生に相談の電話をかけました。早速、紹介状とMRIの予約を取って下さいました。結果、骨に異常があるとのことで、あれこれと検査を受け、1か月後に「多発性骨髄腫」という病名がつきました。主人は、自分は腰が痛いだけなのに、どうして、治療をしてくれないのかと、疑問に思うことばかりでした。その間の主人の様子を見ていると痛々しくて、とてもつらいものでした。私も悲しく涙することもありました。
 私はカーブスに行き始めて、8年目になりました。トレーニングを終え、プロテインを飲んでいる時に、店長さんが近くにみえた時に、思わず、主人の事を話し出していました。私は、堰を切ったように涙が出てしまいました。店長さんは、やさしく私に寄り添い、共に涙ぐんで下さいました。私が落ち着くまでそばにいて、いろいろと話しかけて下さいました。私は話すことで気持ちが軽くなりました。親しいメンバーの人にも聞いてもらい、励ましの言葉をかけていただき、カーブスを続けていて、仲間ができてよかったと感じています。
 さて、私がカーブスに通うようになって、一番の成果は、「変形性ひざ関節症」と診断され、整形の先生に正座はダメと言われていましたが、1年ぐらいで気づけばよくなっているなと感じました。今は婦人会の抹茶クラブで正座をして、お点前もできるようになりました。
主人は、12月と1月に入院をして、化学療法という治療を受け、退院後は、外来治療を続けています。当初に比べ、ずい分よくなっているように見えます。退院した頃の主人は筋力が落ち、バランスが悪く転倒すると、骨折しやすいとのことで、いつも見守りが必要でした。退院して2か月が過ぎ、主人自身ストレッチに励み、毎日、途中休みながら2千歩くらい歩いています。私の歩く速さより速いくらいで、外の景色の変化を楽しんでいます。
 当初、主治医の先生が、「完治はできないけれど、ずい分よくなりますよ。」との言葉を信じて、二人三脚で頑張って行きたいと思います。私自身も週3日を目標にずっと通い続け、貯筋に励みたいと思って今日もがんばると心に誓っています。