「おはよう」と結婚以来毎日続けている朝の挨拶から夫婦二人だけの生活が始まる。五時前後には起きる習慣が身に付いてしまって冬の頃は大変だが何んとか乗り切れる。主人が自己流のストレッチ体操をしてから朝食の膳につく。昨年は新型コロナの影響で日本中、いや世界中が混乱の渦に巻き込まれた。マスク生活、手洗い、うがい、消毒の徹底と今迄にない不自由さが起きた。出かける機会が減り、何れの家庭でもいろんな形を変えたストレスが増えた事だろう。シングルマザーの失職、在宅夫のDVやコロナ禍で母達の悲鳴が聞こえてくる。本当の人生は四十代からではないだろうか。それ迄は人生修行。結婚を否定的にとらえる人達も多い昨今、いかに自分にとっての幸せを掴みとれるか困難な時代だ。子供は夫婦の鎹(かすがい)となりうるか、否という人もいるだろう。普通の結婚、子育てとノーマルな生き方も良しだけれど人生先の判らない電車に乗れば各駅停車で行く人もおれば新幹線の如くに突っ走る人もおるだろう。それは自分次第見れる景色が違ってくる。二人は見つめ合ったらいけない。二人で一緒に何か別の物を見ているのが長続きのコツかもしれない。物理学者で俳人の有馬朗人氏(享年九十才)が没しられた。その方がノーベル賞を授与された朝永振一郎氏にかけられた言葉で「若いうちにいい夢を見ておきなさい。小さな夢を見るだけだと小さなことで一生を終る。できるだけ大きな夢を見なさい」と。雲の上にいる様な偉大な人達の考えには到底及ばないが、でも人にはそれなりに夢を持ち続ける事は大事な気がする。夢は薬、あきらめは毒。まだまだ日本は男社会の風潮が抜けきれないが、女性の活躍が近年富に増えてきた感がする。在宅勤務が増え女性に家事育児と負担が多くのしかかり大変な状況になり何故自分だけがこんな目にあうのだろうと考える人が多いはずだ。男性から見ると家事、育児は女性がやって当たり前。協力的な人達は一握りの様な気がする。全てを一人で抱え込まないで「ヘルプ」と声を大にして叫んで欲しい。こんな勇気も必要だ。ポジティブ思考は良いが時にはネガティブの味があっても良しだ。どこかにぬけ道を作ろう。頑張りはちょっぴりにしておこう。ゴム紐のピンと張ったのはいつかは切れる。黙食、黙トレと会話をしないで下さいとの自粛生活、本来人間の楽しみは和やかに皆で食卓を囲む団欒風景が望ましいが感染リスクを考えるとそうも言っていられない。子供達も外遊びも制限される。命を守る選択が第一だ。医療従事者の人達には頭の下がる思いである。病院経営の難しさ、健康保険組合の存続の危機、以前よりの少子化高齢化会員数の減少により今迄の掛金だけでは賄いきれない。ある精神科医の本の中で堕ちられない人達が現代人に多くいろんなストレスから心の病に罹かる患者が増えたそうだ。堕ちるとの語源から察すると悪い意味ととらえがちだが、上昇志向の人達が高みばかりを目ざしていると息切れがする。時にはストンと堕ちる事が必要とか。なる程。ダラーした時を持ちうっとうしさを忘れよう。十人十色のライフスタイルがあり自分にとっての快適な生活方法を模索してゆこう。「光陰矢の如し」、日は過ぎてゆく。「終ったことはベストチョイス」瞑想をし、気持ちを滞らせず手放して心を平らかにする。どんな困難にも絶望する事はない。子曰く学びて時にこれを習う。また説ばしからずや。朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずして慍(いきどお)らず、また君子ならずや。日々勉強してよい友をもつ、これにまさる人生の楽しみはない。日常生活の中でいつも自分のものとして復習練習すれば自分の知識となる。物我一体の境地に達するこれが知行合一である。世間が認めなくても人をうらまず天をとがめず、ひたすらにその道を楽しむ事が肝要。孔子の教訓二千五百年前でも二千五百年後でも実行できる。孔子流の「先憂後楽」の生き方。苦労を先にして利益を後に獲得する。この世に「当たり前」なんて一つもない。大河ドラマの主人公になった渋沢栄一の書に思いやりを持ち「自己実現の人生こそ理想の人生である」と説かれている。言うは易し行いがたしだが卑屈にならないで自分に与えられた運命だと思う事も必要。人生に対して何かを求めるのではなく人生がその時出してくる問いに答える事、例えその人が病に侵されていたとしても病気に対してどの様な態度をとるかで人間らしく生きられる。この様にしたいと望むのと、こうしてみせると決意するのとでは結果が違う。心から道を楽しむ者ならばどんな困難に遭遇しても挫折せずどんな苦痛にも敢然として道に進み実行していける。夫婦の絆は年輪の如くに積み重ねてゆくものだろう。共に苦労を分かち合い支え合いながら人生の終盤にさしかかった時お互いが感謝しつつより良い老後を送りたいものだ。世界のトヨタ、ナショナルの松下電器等の大企業に発展した会社ももとは小さな町工場からの出発だ。そこには陰で支えた妻達のいろんな苦労があった事だろう。晩年の松下氏の奥様が車椅子生活になった時に松下氏が車椅子を押して出かけられるシーンをテレビで観た。笑顔で行動を共にし、心安らかな姿に感動した。経済的裕福さより互いにいたわり共に歩いて行きたい。この年令になると身近な人が鬼籍に入られる方が増えてくる。そんな折二人で過ごせる時を有意義にとひしひしと感じる。カーブスで今日の成果について可愛いシールを貼るコーナーがある。立つ時に「よっこらしょ」と言わなくなった。「気分転換、前向きになった。お水が沢山飲める。疲れにくい。お腹が固くなった。肌が良くなった。6項目の中で一位が気分転換で二位がお水が沢山飲める。この順位から察するに皆さん仕事や家事にと大変な思いをされていかに開放される時間を持ちたいと願っている姿だ。理想の家族とは如何なるものか。杓子定規的な形態は無理かもしれない。けれど母親の役目は古今東西不変だと思う。父親とは違う愛を皆んなにふりまいて欲しい。コロナ禍との戦いの中、ワクチンの開発によって少しほっとしている状況だがまだまだ油断は禁物。生命の大切さを孫達の世代に伝えてゆかねばならない。趣味の詩吟。昨秋には男性陣に混じって紅一点の舞台を踏む事が出来た。音程が低い声質なので女性の方との合吟より吟じ易い。仲々上達しないが継続してゆきたい。四季の移ろいを感じながら今日も片道5分間のドライブを楽しみ顔なじみの仲間とコーチの笑顔に会いにゆこう。