カーブス歴3年目。この3年間に変化のあったこと、なかったこと。
 このコロナ禍の時代にも、生まれてから怪我や病気で入院することもなく78年間を過ごしている日々。なんでもない一日がどんなに貴重なことか振り返ると気づかされることが多い。
 計測日の体重測定も腹囲もすべて期待している数値にはならず、それでも小さな変化は目に見えない形で積み重なっている。
 去年の8月から始めた年金者の集りの卓球サークルは「ラリーを楽しむ」がモットーのサークル。最初は走り回る(球拾いばかりで走る...拾う場面。筋肉の働きを意識出来ていると考える余裕も)やっとラリーを楽しむ余裕も生まれてきた。同時に始めた猫の額ほどの畑を借りて農作業。去年の黒豆はおせち料理一回分ほどの収穫。小豆は、お赤飯数回分。もちろん無農薬で。たった2株のキャベツは虫食いだらけで外葉はボロボロなのに中身はしっかり巻いていて虫も入れず?新鮮な驚き。味は甘いとさえ感じるシャキシャキ感で。現在は苺、豌豆、馬鈴薯、玉葱を育てている。野菜作りに挑戦をしての気づき。どんな野菜も切れ端までも大切で捨てられず、スープに利用して使い切るように。残飯類は畑に還元。資源ゴミとして分類すると生活から出るゴミの量はほんのわずかに。こうして一つ一つ生活の点検をしてみると、自身の体の変化にも気づく。
寝付きはもともと良い方だったが、寝起きはサッと起きられず、朝早く目覚めてしまうとあと何十分寝られる――ラッキー!!と喜んでいたのが、今では目覚めと同時に体が先に動き出す。家族が多いので(7人プラス猫一匹)一人になれる時間は早朝だけ。誰にも邪魔されずに一人で過ごす時間は貴重。洗濯機を回しながら新聞のコラム「天声人語」の書き写しが終わると朝食の準備。カーブス・レシピを参考に蛋白質4点を意識して献立を考える。手っ取り早くヨーグルトにプロテインの日もあるが、残った材料であれこれ考えるのは楽しい。こうした食事の成果か5年前に心臓弁膜症で人工弁になった80才の夫は術後の後遺症もなく、適度の運動を続け健康に過ごせている。
 コロナ禍でサークル活動はすべて中止に。体には食べ物が必要なように心には文化が必要――。長年、鑑賞を続けている演劇は突発性難聴になってからは補聴器の助けを借りて鑑賞し、生活の一部になっている。劇場という同じ空間を大勢の人達と共有、共感する空気が生きる道筋を考えさせてくれる。オーケストラやピアノ演奏など生のコンサートは耳のリハビリのためにも健康に過ごすことの一助となっている。
 ご近所の音楽サロンでボイストレーニングを兼ねて歌う場があり、プロの声楽家の先生に「高音がとても綺麗に出るようになりましたね」と。話す声は低めで子供の頃からパートはずっとアルトだったのでびっくり。年令と共に首周りの筋肉が衰え、高音が出しにくく飲み込みも悪くなるなど説明された。喉のまわりの筋肉も知らず知らずに鍛えられている――。うれしい変化を知り、春から「童謡とシャンソンを歌う会」に参加しようと挑戦。
 教則本が10冊を超えたピアノレッスンもまだ続けられそう――。
 50代の息子は少年野球の監督に、息子のパートナーは夜勤。3人の大学生はコロナ禍にもかかわらずアルバイトにライブにで、昨夜から戻らず。二番目の孫は早朝5時半には自分で作ったおにぎり持参でイベントのアルバイトに出発。一番下の孫は夜更けにケーキづくり。外出はバレンタインデーのお返しのためらしい。夫が鼻歌を歌いながら掃除機をかけているのを見ながら洗い物をする私。こんな風景の中で朝のはじまりの日曜日。
 庭にこぼれた種からビオラやペチュニアの芽が出て愛しく感じられる春。寄せ植えで春をいっぱい楽しもう。雑草という名前の草は無いと何かの本に書いてあったけれど、そんな花さえ美しいと感じる心を育てながら、カーブスと共に一日一日を自分の喜びのために使い切りたいと思う。