昨年11月。連休で箱根へ旅行した際、温泉の脱衣所で何気なく体重を測ったたら、55キロという最高記録を叩きだしたことに気付いてしまった。思えば、幼い頃から食べても太らない体質なのをいいことに、限界まで食べる癖が染みついていた。10代の頃は食が細く、給食もあまり食べられずに残すほどだったが、いつの頃からか男性も顔負けの早食い&大食いになっていた。しかも、親の厳しい躾のおかげか好き嫌いが皆無というのも体重増加に一役買っていたようだ。何より年齢的なこともあるのだろう。コロナ禍のだいぶ前から、お腹のポッコリがなかなかへこまないことにも悩んでいた。
話はさかのぼるが、コロナがだいぶ落ち着いた夏頃、風呂に入る前に鏡に写る自分の身体を見て、驚いたことがあった。完全におばちゃん体型になっていたからだ。なにより一番ビックリしたのは、脇の下のいわゆるハミ肉。ワイヤー入りでない楽なブラジャーばかりつけていたツケが回ってきたのか、誰がどう見ても典型的な小太りのおばさんに変わってしまっていた。
なぜそのようなことになってしまったのかというと、やはりコロナの影響であることは否めないだろう。2020年4月9日。コロナ禍により緊急事態宣言が発令され、カーブスへ通えなくなった日である。小学2年生の娘も3月から休校になった。学童には通っていたものの、カーブスの休業とほぼ同時に通えなくなってしまった。このままでは今まで続けてきた運動ができなくなってしまう。50歳を目の前にして下腹はポッコリ出て、お通じもすこぶるいいとは言えない状況に悩んでいた最中であった。
そして、否応なしに平日の日中は娘と2人きりのお家生活が始まった。運動不足解消のため、テレビ体操やラジオ体操をやるときにダンベルを持ってやってみることにした。娘はゴロゴロしては漫画を読んでばかりだったが、体操のときだけはなんとか一緒にやらせるようにした。そして、昼食を買いに行く際は2人一緒に徒歩で移動。カーブスによると、ウォーキングは有酸素運動のため筋トレにはならず、ダイエット効果もあまりないことを散々聞かされていた。そうはいっても家でじっとしているよりは数倍マシだろうし、ダンベルを持って体操をするから大丈夫だろうとタカをくくっていた。
辛い5月を経て、6月からやっとカーブスも再開。娘の方も分散登校が始まり、少しずつではあるが、以前の生活を取り戻しつつあった。1カ月以上カーブスを休んでいたこともあり、マシンがかなり重く感じたことを昨日のことのように覚えている。それでも、その時は当たり前にカーブスに通えることが最高の幸せだと改めて実感するばかりで、自分の身体の変化についてはあまり考えずにいた。
思えば2019年5月に行われた高校の同窓会で、「ずっと痩せているよね? 全然変わらないね」と感心されたはずではないか。あれからまだ1年しか経っていないというのに、だらしなく太ってしまった体型を見て、茫然とするしかなかった。
このように、箱根の旅行をきっかけに一念発起し、食事療法とカーブス中心のトレーニングで無理のないダイエットをすることにした。朝食がご飯だった際に昼食はパンとサラダ、逆に朝食がパンの際に昼食はカロリー低めの弁当を食べるようになった。平日はNHKのテレビ体操とラジオ体操、TBSの『レッツ美バディ』のエクササイズも日課にするようになった。
一番最近の計測では、箱根のときより約2キロ減っていたものの、体脂肪が増えているとインストラクターの方から指摘された。原因は未だによく分からないが、そんな風に第三者の目でハッキリと言ってくれるのもいい。体重が減っているのに、体脂肪が増えるのはなぜか? 「睡眠は足りていますか?」などと何かと気にして原因を必死に探ろうとする姿勢にこちらも真剣にダイエットに挑まねば、という気持ちにさせられる。今年に入ってからは、昼食の締めに菓子パンを食べるのもやめることにした。私のダイエットはまだ始まったばかりであるが、長丁場になるであろうことは充分に覚悟している。いきなり激しいダイエットをすると辛くなるばかりでリバウンドも怖いので、毎日カーブスに通いながら少しずつ体重を落としていくつもりである。とりあえずは2021年の年末までに40キロ台に戻し、体脂肪もそれなりに減らすことを目標に頑張っていくつもりだ。