運動習慣のまったくなかった私、一時期、短距離を走る事だけは早かったが、女性らしい特徴が、少しずつ現れると同時に、その特技もあっと言う間に失ってしまった。
でも加齢と共に「運動の重要性」を感じる場面が多々ある様な事が増えてきたが、気付かぬフリをしていた。そんな60代の後半、所属していた、シルバー人材センターの健康行事の一環として、カーブスのコーチが2名来られて、現在の各種計測の状況と筋肉の大切さについて、レクチャーを頂き、のんきな私も危機感を感じ、早速入会させて頂き、早七年......カーブスが、生活の一部になり、筋肉も少しずつつき、食事の取り方にも留意出来る様になった、そんな平成31年4月――平成最後の月に、お産以外入院経験のない私が、12日間入院する事になりました。甲状腺機能亢進症による、心臓が通常の4、5倍も働き過ぎる頻脈でした。私の病室の名前の頭には五日間位、赤いマークが付けられていました。
担当の先生の治療のおかげで正脈を取り戻し、お世話頂いた皆様のお陰もあり、退院する事が出来、しかもこちらの先生のご紹介で五月連休後カテーテル・アブレーションの出来る病院で、ダメージを受けた心臓の治療をして頂き、不安がすっかりなくなって、5ヵ月後、カーブスへ復帰する事が出来ました。
まさしく、令和の元号と共に私は生まれ変わったんだなあーと、医療関係者、家族、サークルのお仲間に感謝感謝の毎日でした。
本当に有難うございました。
令和元年は実質8ヵ月でしたが、新天皇・皇后陛下のパレードの輝く様な笑顔が忘れられません。そして全世界が恐怖に陥れられた令和2年の「コロナ禍」が始まり、「緊急事態宣言」の発令――。
図書館、公民館活動、(私の場合は絵画、書道教室がなくなりました。)カーブスも休みになり、新型コロナウイルスへの恐怖心と、一日何をして過ごせば良いのか、外出なしの初めての生活に、右往左往......平常心を取り戻すまでの苦労は、筆舌に表せなかったのは、どなたも経験された苦しみだったと思います。制約付で、だんだん公民館活動、図書館、カーブスも行ける様になり、本当に嬉しかったです。限られた条件の中で、出来る事を考え、工夫する事も、「自分みがき」の自己啓発の一環と考え、前向きに歩みたいものです。現在、変異ウイルスの拡大もあり、リバウンド(感染再拡大)を何としても防ぐべく、4都府県で3月21日まで「緊急事態宣言」が再延長されました。ワクチン接種も夢の話ではなくなって来ました。
日本人は「世界一」まじめで努力家です。
制約が一年以上になり、本当に苦しいです。でも、すべての国民が、ここでもう一歩、頑張りましょう。この苦労、頑張りの先には、必ず、自由な生活が待って居ます。「カーブス」のコーチの明るい笑顔、声に励まされて、私も頑張ります。

私のモットー

身体が変れば 心が変わる 心が変れば 毎日が変わる 毎日が変れば 人生が変わる

◎カーブスには ほぼ毎日 行く事を習慣にしているー継続は力なり

◎常に腹圧に留意する
たまに雑念に頭が空になり、コーチに"はーい腹圧!!"と注意される 有難い

◎食事も3食12菜をめざしているが 今は10菜位をキープ 12点をカロリーをキープしつつ、取る事は中々難しい

◎お腹は少し出ているが現在硬くカチカチに 腕の振り袖も小さくなり 硬くなって来た

◎考え方が前向きになりプラス志向になった

◎人は人 自分は自分 無理しない 頑張り過ぎない