「24ミリの巨大な動脈瘤があります。この大きさでは、手術をしたがる医師はあまりいないと思います。」
 6年前の春、突然宣告された検査結果だ。
 私は当時都心の図書館で司書をしていた。本が大好きで仕事は楽しかったが、往復3時間の通勤に加え、立ち仕事。力仕事も多く、50代後半の体力の衰えには逆らえず、かなりハードな毎日で疲れ気味ではあった。
 数日前から嫌な片頭痛が続き、おかしいなと思いつつ車でスーパーに買い物に。慣れた駐車場なのに、大きな柱を見落として、バックで激突してしまった。後部ガラスが粉々になる衝撃だったが、幸い怪我はなく、事故処理をして車で帰宅することができた。
 その夜帰宅した夫に報告すると、「車をぶつける程頭が痛いんなら、医者に行かなきゃ駄目じゃないか。」と叱られてしまった。
 翌朝、幸い午後勤務の日だったので、通勤途中に脳神経外科を受診し、MRIの検査をしてもらった。その結果は思いもよらないもので、いきなり死へのストップウォッチを始動されたかのようなショックだった。
 それからは、図書館でその手の医学書や情報誌を借り、両手いっぱいに提げて夜帰宅。夫と一夜漬けで色々と勉強し、病気のこと、名医のことなどのにわか知識を得て再び受診し、その後大病院を経て、名医を訪ねて札幌へ。失明の危険があり、すでに視野狭窄が始まっていたので、後悔しないように匠と呼ばれる先生にすがったのだ。家族の協力もあり、幸いにも手術は成功。羽田を発つ時は、もう二度とこの景色を見られないかもしれないと覚悟を決め、エンディングノートも作って出た。
 両の目で眺めた北海道の夏の海の青さは忘れることはないだろう。
 回復がいつになるかもわからなかったので、図書館は退職していた。半年後の定期検診までは静かに過ごし、翌年、助けられた命、これからは何事も「悩んだり迷ったら、やる方を選ぶ」と決めカルチャー講座の受講を二つに増やし、夏には歩ける距離で働ける勤務先を見つけ、秋には体を鍛えようとカーブスに入会した。
 運動の苦手な私は、それまで運動らしいことは何もせずに生きてきた。何事にも意欲的に取り組む意欲旺盛の時期だったが、それに加えてカーブスで適度に体を動かすことの楽しさを覚え、健康や筋肉に関して折々に学ばせていただき、さらに元気なスタッフ陣に常に明るく支えられ、生活に張りのある毎日だった。
 1年後、定期検診で再び別の動脈瘤が見つかってしまった。まだ3ミリ強だと言うので、当分様子見でいけると思ったら大間違い。眉間のあたりにできていて、小さくても破裂し易いのだから、手術を至急すべきだとのこと。身内にも同じ病気の人はなく、なぜ私だけがまた?と落ち込んだ。瘤は小さくても破裂すれば、くも膜下出血。そうなれば命の保証はなく、後遺症も多い。
 手術までの1か月。また破裂の不安とつき合いながら毎日はらはらして過ごしていた。1か月休ませてもらうよう仕事の手配をし、いよいよ明日札幌へ発って入院という日の朝、心が急いていたせいもあるのか、出勤途中の横断歩道で左折車と接触してしまった。倒れる寸前に気を失い、救急車に乗った瞬間に目が覚めて、慌てて携帯電話で職場と夫に電話させてもらったことまでは覚えている。その後すぐ失神。硬膜外血腫でまた頭の手術をするはめになった。幸い後頭部で瘤に影響なく一命をとりとめた。
 もちろん札幌行はとり止め。気がついた時はICUから出て、ろくに目の焦点が合わず、左半身不随の状態だった。その上数日後に心筋梗塞を併発してカテーテル手術も。もう踏んだり蹴ったり。絶望し心が折れそうになりながらも、家族の重荷になりたくない一心でリハビリに明け暮れる。1年間カーブスで頑張っていたおかげか基礎体力はあり、まだ頭が朦朧として、足し算ドリルもままならないうちからハードな四肢リハビリの成果が出て来た。救急病院で年を越した。
 リハビリ病院での1か月は、運転をしたいという目標を前提の脳トレ、主婦業ができるように、との療法でのトレーニングに明け暮れ、医師に褒められる程の早い回復で杖をついて自力で歩いて退院できた。頑張れたのは、早く治してもう1回の手術に臨み、またカーブスに通う日常を取り戻したい、という悲願のおかげだと思う。
 3月、札幌でまた開頭手術。難しい場所で癒着もあり難儀したというが、名医のおかげでまた生還できた。今回は瘤が小さかったせいか術後の痛み苦しみは少なく、慣れたものの入院生活を楽しんだ。後遺症で片鼻の嗅覚を失ったのが残念だが、事故と手術の連続の日々から抜け出せた喜びには代えられない。
 退院後程なくしてカーブスに復帰した。「お帰りなさい、ゆう子さん」と、休む度に声をかけていただき、ほっとしてまた続けたいと強く思えた。
 その後、バセドウ病の発症でしばらくドクターストップが出されたり、手首骨折でまたしばらく休まざるを得なかったり。どうしてこう私は波乱の日々なんだろう、と切なくもなるが、スタッフは代わってもカーブスはいつも温かく迎えてくれる。
 骨折の後そろそろ、と思った頃にコロナ。毎日外出を控え、家の中で過ごして手首のリハビリに励むのみのストレスだらけの私にとって、カーブスがどんなに大切な場所だったかということを改めて痛感した。
 また通えるようになった昨夏、元気な店長の「お帰りなさい、ゆう子さん」の変わらぬ声を聞けた時、感動でうるうるしてしまった。
 コロナでどこにも行けなくても、カーブスがある。行ける所があって本当に良かった。休んでばかりだが、なんとか入会してから足かけ6年目を迎えた。年と共にあちこちガタが来て通院は欠かせないが、続けてさえいれば、カーブスでの努力が私を助けてくれる。何があってもくじけずに前向きに立ち向かえる体力を作ってくれる。
 信じてこれからも続けたい。通っていて本当に良かった。乗り越えてこられたのは、カーブスで体力気力を蓄えていたからだと思う。ありがとうカーブス!これからも宜しくお願いします。
 私にとってカーブスとは前向きにさせてくれる心身のオアシス。