「いらっしゃいませ」「有難うございました」24年間言い続けた大好きだった言葉を、言わなくなってから4年が過ぎました。
 朝7時前家を出て車で20分、「白河ラーメンみちのく」に着く。一人でスープを仕込み、チャーシューを作り、11時の開店時間に向けて時計を見ながら作業をする。
そう。4年前まで私はラーメン店の経営者でした。今から半世紀程前、嫁いできたこの地で食べたラーメンが何となく口に合わなかった。子供の頃から食べ慣れたラーメンが恋しく、どうしても食べたい一心でラーメン店の開業を決意しました。夫と子供達を説得し週末を利用して、東北新幹線で白河の「とら食堂」の親方の元に通いました。そこでラーメンの作り方を教えてもらい、秘伝の元ダレも頂き平成4年に開業しました。
 当時は今程のラーメンブームもなく、白河ラーメンと言っても知名度もあまりありませんでした。が、沢山のお客様や友人、知人に支えられ、夢が叶い、毎日が楽しい充実した幸せな24年のラーメン屋稼業を送る事ができました。余力を残してその後の人生を楽しみにしての閉店でした。しかし多忙で時間に追われていた日々が一変、沢山出来た時間を前に何も手に付かず、一日の時間の配分も出来ず、家にこもり読書の毎日でした。
 そんな引きこもりのような私を心配して「カーブス」に誘ってくれたのが親友のTさんでした。出不精になっていた私に何度も声を掛けてくれました。その度に「そのうちにね」と断っていたのですが、ある日体験にご一緒してもらい、2018年1月カーブスに入会しました。最初は億劫でしたが何度か行くうちにカーブスには「みちのく」に来て下さっていたお客様が何人もいました。「あら元気、どうしてる?」「どうして辞めたの?また食べたいなぁー」「やっと運動ができる時間が出来て良かったね。頑張りましょう。」と再会を喜び、声を掛けて頂いた事も感激でした。カーブスに来て良かった。通う度にぽっかりと空いていた穴が塞がっていき、徐々に体力が付き気力がもどってきました。
2019年のある日、カーブスに行くとはじめて見る背の高いコーチがにこにこと私を見ている。印象に残るあの笑顔はどこかで会っている。誰だっけ?記憶をたどるが判らない。次の日カーブスに行き思い出した。
 幼い頃お店に食べに来てくれていたSちゃんと、素敵なSコーチが重なったのです。20年近い歳月を経て、カーブスでの再開。やっぱりカーブスに行って良かった、嬉しい偶然。
 笑顔は変わっていなかった。
 私が仕事を辞めて1年後、夫の大腸癌ステージⅣが見つかり手術。その後はたび重なる入退院のくり返しでした。でもその合間、週3回の目標でカーブスには通いました。
 私が元気で夫の看病できたのも、カーブスに行ってできた体力と前向きの気持ち、優しく声をかけてくれるコーチの皆様、友人の方々のおかげです。
 今年1月夫が旅立ちました。
 カーブスを休んでいて、日々の積み重ねの大切さ、現状維持の難しさを痛感しました。努力は必ず報われる事を信じ、減ってしまった筋肉、体力、気力の回復に、またカーブスに通います。
 さらに、よりよい自分であるために頑張ります。