私は、幼い頃からよく膝を曲げるとカクンと音がしていました。今から40年前、就職先も決まった大学卒業前に、膝がガクンとなった時に痛みが走り何かに捕まらないと転びそうになることが増えたので、大きな病院で受診しました。痛みの原因は、膝の半月板のところが円盤になっていて邪魔な部分が擦れるからとのことでした。手術をしたら術後3ヶ月のリハビリが必要なので、せっかく就職も決まっているのだから、手術はしないで足の筋肉を鍛えなさいと医師に言われました。
40年も前はカーブスもなく、筋肉を鍛えなさいと言われてもどうしたらいいかわからずとくに何もしていませんでした。幸い仕事が1日中、立って動き回ることが多かったので、足が鍛えられたのだと思いました。
結婚を機に仕事を辞めて他県に行き2人の子どもを出産。主人が転職して山口県に戻りもう2人を出産して4人の子育てでずっと動き回っていました。
 25年前に山口市に家を建てて他県に住んでいた舅姑と同居して、仕事に復帰しました。当時、小学6年生の長女、4年生の次女、2年生の長男、幼稚園児の三女の4人の子どもたちが病気になったり、学校から体調不良の連絡があったりしたときは、舅姑が助けてくれました。そのお陰で、仕事を続けることができました。
 けれども、11年前に舅、10年前に実母、6年前に実父が亡くなり、4年前の1月に姑が大動脈解離で突然倒れました。幸い一命は取り留めたのですが、重い心臓弁膜症が見つかりました。姑が、これまで家事や子育てを助けてきてくれたお陰で子どもたちも無事に成人したので、私は仕事を辞めて介護に専念しました。
 大学病院で、12時間に及ぶ大手術を受けました。手術は無事に成功したのですが、200人に1人位の割合でかかってしまうという肺の病気にかかってしまいました。もともとあまり食が太い方では無かった姑は、病院での食事を毎食ほとんど食べ残していました。しかも、姑なりの今思うと偏った健康食イメージ「野菜はたっぷり、肉は少なく」があり、病気になる前からタンパク質はかなり不足してたと思います。担当の医師から、本人が食べてくれるのなら何を差し入れしてもいいと言われていました。それで、もともとスイーツは好きだったので、毎日コンビニのスイーツコーナーで、少しでもタンパク質量の多いものを選んで買って持って行き食べさせました。
 手術後2ヶ月して何とか、退院できるまでに回復したのですが、退院の前夜にトイレで転倒して胸骨を圧迫骨折してしまいました。しかし、大学病院にそのまま入院しておくほどではないとのことで、自宅近くの整形外科で治療してもらうように言われて退院しました。体中のタンパク質が足りていなかったからか、血管が体内の不要な水分や老廃物を腎臓まで送る力が無く、あっという間に体中がむくんできて退院して4日後、再入院しました。それから、3ヶ月間集中治療室にいて、家族以外の面会はできませんでした。私は、車で片道1時間かかる大学病院まで、合計で5ヶ月間、毎日通っていました。
 姑の死期が近いことを感じたのか、担当の先生が、家族以外でも会わせてあげたい方があれば面会を許可しますと言ってくださり、姑が20年以上続けていたコーラスグループの方々が面会に来てくださいました。
全く目が開かない日も多かったのですが、その日は珍しく、目が開いていて、とてもよく反応していました。きっと、みなさんに必死でお礼を言っていたのだと思いました。そこで、力が尽きて安心したのか、私たちが帰って1時間後に息を引き取りました。葬儀の時に、コーラスグループのみなさんが姑に歌を歌ってくださいました。
 介護したり、大学病院の中をうろうろしたりするだけでもかなり動いていたのが、姑が亡くなってからは、運動量がぐんと減ってしまい、膝がガクンとなって、何かに捕まらないと転んでしまうことが増えてきました。
 そんな時、小学校時代の友人から、彼女のお母さんと一緒にカーブスに通っているという話を聞きました。しかも仕事の忙しい彼女よりもお母さんの方が熱心に通っていると聞き、それなら私にもできるかなと思い近くの山口中央カーブスに連絡して入会しました。
 初めて行った時に驚いたのは、私よりも少し年上かなと思われる方々が、楽しそうに軽快な音楽やおしゃれな英語の声に合わせてワークしたりチェンジしたりされていたことでした。また、初めての筋力チェックの時、私は上体起こしが全くできなかったのですが、これまた、私よりも少し年上かなとお見受けする方が、なんとひょいひょいとやっていらっしゃったのです。これには本当に驚きました。でも、私も3ヶ月後には、少しできるようになったのです。やったー!
 何より嬉しいのは、膝がガクンとなっても、転ばずに持ちこたえられるようになったことです。
それから、最近もう1つ驚いたことに、平熱が1度上がっていたのです。コロナ禍で毎朝検温して出勤しているのですが、カーブスに通い始める以前は、大体35度2分位だったのが、今は36度3分位なのです。そして、これは免疫力が上がっているということをコーチに教えて頂きとても嬉しい変化です。
また、タンパク質をきちんと必要量摂らないといけないことも教わりました。亡くなった実母が食生活改善推進委員をしていたので、バランスの良い食事が大切だということは知っていたつもりでした。でも、カーブスに通い始めてタンパク質量が大幅に少なかったことに気付きました。空腹の時は、ご飯、パン、ラーメンが食べたいと炭水化物が思い浮かびます。また、何か御馳走を用意する時はお肉、お刺身、お寿司等タンパク質をメインに考えます。野菜は、どうしても後回しになって不足するから意識して毎食とるようにしないといけないということは知っていました。特に姑は、お肉が嫌いでした。魚や大豆製品は食べていましたが、量はとても少なかったです。まさに「あなたの体は、あなたの食べたものでできている。」でした。悔やまれるのは、もっと早くカーブスの門を叩いて姑も入会させてあげていたら、元気な体で長生きできただろうにということです。
 また、プロテインなんてマッチョな体を目指す人が飲むものだと思っていたのですが、カーブスのプロテインは、低カロリーでタンパク質が補えるものだと知りました。これまた嬉しい変化で、毎年冬場は就寝前に手はもちろん膝かかと足の裏にたっぷりクリームを塗っていたのですが、最近は手だけ少し塗れば十分になっています。これも、プロテインを飲んでいる成果だと実感しています。
同じクラブで、息子の小学校からの友人のお母さんに再会しました。お互い息子たちは他県で就職しており、「私たちが元気でいないといけないね。」と今日もワークに励んでいます。
 姑が亡くなって半年後、仕事に復帰していましたが、この春から仕事に復帰する長女を応援するために私は仕事を辞めました。25年前に舅姑に支えてもらったので今度は私の番です。筋トレしながら孫守りを頑張ります。