2009年11月。私は腹筋が落ちてくるのをひしひしと感じ入会した。紙芝居を演じるのが日課となっている私にとって、腹式呼吸、腹式発声が最も重要な事だった。もう一つは30分という時間が魅力だった。それまでにジム等、いろいろな所に行ったが、どこも長くは続かなかった。カーブスが10年以上も続いている事も不思議である。
 10年の間には、いくつかの大きな壁にぶつかった。入会して3年位たった頃だったと思うが、夫の両親が病気や認知症で介護が必要となってきたのである。仕事もあり、私は、時間と心の余裕がなくなりカーブスに通う回数が減り、お金がもったいないと思い休む事にした。
 そして、3ヶ月が過ぎた頃、幼稚園で紙芝居をやっていると急に胸が苦しくなり、その日はなんとか最後までやり通したのである。車に乗ると楽になったのだが、ふっと気付いたのだった。「おかしいなあ、5本やると、息がハアハアしてくる」「まさか、カーブス行ってないからだろうか」と。
 私は、次の日、思いきってカーブスに行き、自分の状態を告げ、試しにやってみたいと申し出た。4ヶ月位たった頃、いつの間にか何本演じてもつらくならない自分になっていた。やっぱりカーブスか。続ける事の重要さに気付いた私は、その後7年間週3回を目標に通い続けた。何本演じても平然としている私に同業者はびっくりより、呆れていた。
 ところが、令和3年2月14日、コロナ発生と同時に私は階段をふみはずし、膝に血がたまり小さな骨が欠ける大けがをしてしまったのである。40日動けず、なんとか少しずつ歩けたものの車を運転するどころではなかった。何もできない自分、もちろんコロナで紙芝居もできなくなっていたが、2ヶ月たっても治りが遅い自分にイライラするようになった。私はとうとう、担当医に相談しに行った。すると医者曰く
「そのまま、じいっとしていたら本当に歩けなくなるよ。カーブスおおいにけっこう。出来る運動からやればいい。膝以外に筋力がつけば膝の為になる。今からカーブスへ行け。」と、乱暴な答えだった。
 私は、おそるおそる次の日、カーブスに行き、
「先ず、1セットから始めたい。できる運動から。」
と伝えると、スタッフの方々から大拍手。私はちょっと自信が出て、やり始めた。両足使う運動は片足のみに力を入れ、上半身はいつものようにやってみた。すると、何というか出来ないと思っていた私の体が水をえた魚のように器具に助けられて出来たのだった。その日からスタッフの方々の励まし、支えはもちろんですが、今まで味わえなかった心の中に笑顔が出、みるみるうちに足に力が入ってきたのである。回復する私の様子を見ていた膝の悪い友人が、
「私も挑戦してみようかなあ。」
と言い、入会したのである。毎回、会うごとに、体調がよくなってきたとか、足が痛くなる時もある等、楽しい会話ができるようになった。友人は明るくなり生き生きしてきた。
 そんな令和3年正月気分が取れたある日、洗濯物を取り入れる為に2階にあがっていくと、私はトントントンと右・左と順序よく足が動いたのである。気付いた私は、2階の窓を開け、バンザァイと叫んでしまい、一人で、やったあ、やったあと大はしゃぎした。
 数日後、幼稚園で紙芝居をしている途中、子供達と歌ったり踊ったりして飛んだりはねたりしている自分にびっくりしたのである。もちろん周りで見ていた先生方も、
「足なおってる?せっちゃんおばちゃん、すごい、若いわ。」
と、大拍手。その日から私の体も心も復活してきたのである。
カーブスの運動なんて、大したことないわとか、行くまでは、いやだなあとか、1セットが長く感じるなあとか、日によって消極的な気持ちになる時もある。しかし、2セット終了、ストレッチが終り、手を洗うと体も心もほっこりする。そして笑顔になれる。
 いつの間にか、私の車の中にはトレーニングシャツ、ズック、水筒は毎日乗っている。
 今年3月5日で74才。私はいつまでカーブスに通えるだろうか。通える間は紙芝居が出来ると思うと、心がワクワクしてくる。80才、85才、90才...年は確実に一つずつ重ねていくが、一年一年目標を持ち、いつまでも体と心が笑顔でいれるよう感謝の気持ちで過ごし、カーブスに通いたい。
 カーブスの帰路、車の中で「今日も行けた、ありがたい、うれしい」と声に出し、一人ニヤリと笑う私である。