毎年、秋になると決まってMバーガーで「お月見バーガー」を食べ、カラオケで「思秋期」を歌う。
「思秋期」は、歌手、岩崎宏美さんの曲だ。
コロナ禍でカラオケには行けなくなり、去年の秋は一度も「思秋期」を歌っていない。
「お月見バーガー」の方も、最近はお肉系のバーガーを食べるのが少々「きつく」なってしまった。
食べてもせいぜい、フィッシュ系のバーガーだ。おまけに、
「タルタルソースを抜いて下さい!」
とまで、付け加える。
「それじゃ、パサパサなんじゃないの?」
などと娘に言われると、「カサカサで潤いがない」と言われたようで、ちょっとばかり情けない。

 私が初めて「思秋期」を聴いたのは、もう四十年も前の遊園地「豊島園」での岩崎宏美さんの野外コンサートの時だ。
 その時私は、当時付き合っていた、反物に筆で友禅模様を描く「友禅模様師」のKさんと、その弟子のS君と一緒だった。私は大学を出たばかり、Kさんは私よりも一回り年上だった。
 ちなみに、当時は大人気だった「豊島園」も昨年その長い歴史の幕を閉じた。
 私達三人が豊島園で遊んだのは、8月の終わりの日曜日だった。Kさんの借りている一軒家が、西武池袋線の練馬駅の近くにあったのだ。
生まれて初めて乗ったジェットコースターは「驚愕」の怖さで、
「乗るんじゃなかった!」
と後悔したことを今でも覚えている。そして、一日遊んで遊び疲れた私達は、突然華やかになった野外ステージにびっくりした。
 耀いていた夏の陽も、ようやく傾き始め
「そろそろ帰ろうか?」
と誰しもが思うような雰囲気の中で、岩崎宏美さんの「新曲発表コンサート」は、幕を開けた。
 その頃、既に、岩崎宏美さんは大スターだった。
が、宣伝が足りなかったのか、ステージの前には、不思議なくらいに人がいなかった。私達三人も、急に始まったコンサートにびっくりしているという状況だった。そんなまばらな観客の前で、岩崎宏美さんは、新曲「思秋期」を歌い始めた。
 「秋の新曲」には違いないが、夏の終わりに聴くには、少し地味すぎる歌のように、私には思えた。ただ最後の
「お元気ですか?みなさん、また会いましょう」
というフレーズが、妙に心に残った。

 あれから、なんと40年もの年月が経った。豊島園で一緒に「思秋期」を聴いたKさんとも別れてしまった。娘や息子に、Kさんのことなど話したこともない。
 秋になると「思秋期」を歌うようになったのは、娘の小学校のPTAの「ママさんコーラス」の仲間と通った、カラオケでのことだ。ママさんコーラスの仲間で「エアロビクスの会」を作り、練習の後、ランチを兼ねたカラオケに毎回繰り出した。
 「思秋期」は、私の「十八番」となった。
「父は、私が歌手になったのをずっと反対していました。でも『思秋期』を聴いて、やっと歌手の道を認めてくれたんです...」
と岩崎宏美さんがしみじみと語ったのは、今から何年か前に「昭島市民会館」で行われたコンサートの時だ。

 私はもはや「思秋期」を通り越して「厳冬期」に足を突っ込んでしまった。会社に定年がないのをいいことに、未だに福生にある日本語学校で、専任講師をさせてもらっている。教師になろうなどと思ったこともなかった私が、ベトナムやパキスタンやネパールからの留学生達に、日本語を教えているのだ。
運命とは、そして人生というものは、全く不思議なものだ。
 だが、60代にもなると、職場はさすがに働きにくくなってくる。
周りからちやほやされていた「花の時代」は、はるか遠くに過ぎ去ってしまった。私と同年代の事務員Tさんが「潔く」退職していったのは、つい最近のことだ。でも、私は、体力と知力の続く限り、働きにくくなった職場で、限界まで粘ってみようと思う。
 コロナ禍で、外国人の入国が制限され、先行きが不透明になってしまった日本語学校である。これから先のことは、誰にも全く見えない。その不確かな未来を、この目で見届けたいと思う。桜のように潔くとはいかないが「花の散り方」を考えながら...。
 こんな「厳冬期」に身を置いている私だが、カーブスに巡り合ったおかげで「思秋期」に引き戻してもらったような気がしている。
「思秋期」を歌っていた頃、岩崎宏美さんは、まだ20歳前だったという。
歌詞の中にも「はらはら涙溢れる 私、十八」というフレーズがある。
「秋を思う」のは、まだ春の時期の、若い人でもいいし、秋真っ只中の「熟女」でもいい。そして、私のように「厳冬期」の人間が「秋」を振り返ってもいいのだ。
秋を思う時、女性は美しい。
 秋に引き戻してくれた「カーブスとの出会い」に、私は心から感謝している。まだカラオケには行けないが、一人でそっと「思秋期」を歌ってみる。
コロナ禍の終息が読めない中、やはり気になるのは、最後のあのフレーズだ。
「お元気ですか?みなさん、また会いましょう」