それは突然やってきた。
 カーブスの練習を終え、玄関を出て、二、三歩歩いたとたん、胸に激しい痛みが走った。鉄板ではさまれたような衝撃的な痛みである。一瞬立ち止まったが痛みをおさえながら、新丸子駅まで歩いた。

「救急車を呼ぶべきか」
 声を出してつぶやいてみた。はっきりしゃべれる。歩ける。顔にひきつれもない。一つ一つ動作にチェックを入れながら、歩けるので歩いた。
 
 でも、痛みは尋常ではない痛みで、生まれてから今までで味わったことのない痛みだった。
 
『心筋梗塞』『脳梗塞』『大動脈解離』、いくつかの病名が頭の中をぐるぐる回る。
 
 でも我慢できない痛みでもないし、意識もしっかりしているので、救急車を呼ばずに様子を見ることにした。すると15分ほどで痛みが治まり通常に戻った。
 
 後日談だが、現在の担当医(循環器内科の先生)からは、「そういう時は、すぐに救急車を呼びなさい。」としこたま怒られた。
 
 そのあとも数回、軽い胸の痛みが襲ったので、町医者に診てもらった。病名は『逆流性食道炎』とのこと。心電図に異常なし。
 
 一応、次の日に川崎市立病院に検診結果を聞きに行くことになっていたので、紹介状を書いてもらう。
 
 井田病院でも、心電図に異常が現れなかったが、この病院では、今までの私の検診結果の電子データの蓄積があるので、それを見ると、昨年のものと微妙な波型の変化が見られたとのこと。また、『運動直後の胸の痛み(発作)』があったということで、『心筋梗塞』が始まっているかもしれないという見立てで、精密検査を行うことになった。CT、MRI、運動検査などの様々な検査をすることになった。
 
 最後に行った運動検査とは薬によって、登山と同じ負荷を心臓にかけて様子をみる検査だ。
 結果、その検査の最中、再発作が起こり、即入院となった。病名は『不安定狭心症』。『心筋梗塞』の一歩手前の状態だった。
 
 運動をしない限り、通常の生活では発作は起こらず、発作が起こったとしても十数分で治まる。発作が起こっている時でなければ、心電図に異常が認められないという厄介な代物。
 
 もと循環器内科の看護師だった友人が後日、この話を聞いて「よく見つけてもらったね。検査ではよくわからなくて、60歳代で突然死する人が多いんだよ。」と言っていた。
 
 入院中は、絶対安静でベッドから起き上がることも制限されていたので読書に励んだ。読んだ本の中に『高齢者のからだと病気』(成美堂出版)という本がある。

 その本の中に「虚血性心疾患の主症状としてよく知られているものに、胸の痛みがあります。とくに急性冠症候群の代表である心筋梗塞では強烈な胸部痛が典型的な症状です。ところが高齢者では、このような典型症状が現れるとはかぎりません。胸やけのような胸部の不快感を訴えたり、胸部ではなく首や肩、胃の痛みと感じたり、息切れや倦怠感を主症状とすることもあります。症状の訴えがなく、失神したり意識レベルが低下してはじめて異常が発見されるケースもあります。労作時に胸が痛むとされる安定狭心症でも、高齢者では無症状のケースが少なくありません。(中略)中年層では男性が多いものの、高齢では女性の発症も増えます。このような高齢者の特徴を頭に入れておき、異常を早期に発見し、治療につなげることが大切です。」(P97)とあります。
 
 私は典型的な症状(「胸の激しい圧迫されるような痛み」「運動直後の痛み」)があったため、循環器内科の先生たちが「心筋梗塞」の初期段階を疑ってくれ、早期治療してもらえた。
 
 私は、激しい運動をしない限り、激しい痛み(発作)はなかった。このまま血管がつまり、発作を起こして倒れるまでわからなかったらと思うと、今でもゾッと背筋の凍る思いがする。
 
 私は一昨年の11月よりカーブスに入会し、昨年7月に手術をした。それまで、運動らしい運動はしたことがない。だから、入会していなければ、わからずに病気が進行していったに違いない。もしかしたら、最悪、心筋梗塞で倒れるまでわからず、命を落としていたかもしれない。そう考えるとカーブスで運動していて良かった。カーブスは私にとって命の恩人なのかもしれない。
 
 そして、もう一つ「カーブスに通っていて良かった」と思えることが、今回の入院であった。
 
 この病気で、13日間入院したが、心臓の病気のため、絶対安静を余儀なくされた。ベッド上で起き上がることも厳しく制限された。そのため、心配だったのが、筋肉量の低下だ。(寝たきりになったらどうしよう!)と内心びくびくした。
 
 くだんの『高齢者のからだと病気』という本でも「高齢者は加齢でもともとの身体機能や予備能力が低下しており、1週間程度の安静でも筋力が10~15%低下」(P20)とある。私は2週間安静にしなければならない状態でどうなるんだろうと不安でたまらなかった。
 
 看護師さんの目を盗んでベッドで寝ながら足あげのストレッチをしてみた。本人はいたって元気なので。
 
 ところが、悪いことはできないもので、数時間おきに測る血圧計の数値がストレッチ後のものは120を超えてしまった。安静時、私は、上が100を切ることも度々だったので、すぐにバレてしまって、「何かありましたか。」と看護師さんから冷たく言われた。それ以来、トレーニングはやめ、おとなしく安静に努めた。
 
 これも後日談だが、退院する時、担当医から、手術後の私の冠動脈の画像をみせられ、いかに危険な状態だったのか説明をうけた。再発作が起こっていたら、生死の間をさまようことになっていたらしい。あの時、トレーニングを隠れてやらずにいて良かったと胸をなぜおろした。
 
 退院してもお蔭様で、普通の生活を営める筋力は保っていた。
どうやら、この8か月カーブスで熱心に運動に励んだお蔭で筋肉がついていたらしい。そんなことにも気づかされた。
 
 運動嫌いだった私が、あろうことか、心臓手術の一か月後にカーブスに戻った。今までだったら、何か理由をつけて、絶対運動なんかしないのにとおかしくて笑ってしまった。でも運動すれば楽しいのだ。
 
 カーブスに復帰した日、
「おかえり!よく戻って来たね。」とコーチの満面の笑み。なんだかほっとしたのを覚えている。