私は昭和24年に、大分県の小さな田舎町に生まれた。両親と二人の姉がいる五人家族で、父はサラリーマンだった。周りはほとんど農家で、父はサラリーマンといっても当時、たばこ専売公社といっていた会社のたばこ栽培指導員だった。父は兵庫県の農家の三男坊で、専売公社の臨時職員だったが、真面目さを買われて正社員となり、たばこ栽培を西日本にも広めようとしていた会社の方針で大分に派遣され住むようになった。
 
 私は小、中学校の九年間、家から800メートル程離れた学校に通った。高校は汽車で一時間かかる大分市まで通った。家から最寄駅まで約30分、汽車で一時間、大分駅から丘の上の高校まで約30分。往復二時間の徒歩を三年間続けた。
 
 高校の夏の制服を作る時にウエストが49cmだったのを覚えている。大学は地元の大分大学に入学した。家から最寄駅までは高校の時と同じ。汽車とバスを乗り継いで大学下のバス停まで行く。そこから大学校舎まで、長い坂道を登ること15分~20分。スクールバスでないので、バスは大学の校舎まで行かなかった。それが四年間。
 
 高校大学時代、七年間を通学だけでずい分歩いたものだ。それも結構きつい坂道を含めて。しかしこれが健康に良かったことは、就職して分かった。大学卒業前に車の免許を取った私は、教員となって初任地の山奥の小学校に赴任した。下宿から職場の小学校まで車で通勤した。五月に大学の時に着用していたパンツをはいてがく然とした。太ももがきつきつ。筋肉が脂肪に変わっていた!それでも事態の意味することを把握しないまま過ごした。

 小学校の教員は動く量が多い。仕事内容と若さによる基礎代謝のおかげで、太ることなく年月は過ぎていった。大きな変化のない毎日、ほぼ規則正しい生活、体型や体調に特に変わることはなかった。たまに原因の分からないめまいや脱力感に襲われたが「自律神経失調症」と言われた。
 
 四十代に入るとひどい貧血に悩まされ、その後高血圧症がしのび寄ってきた。仕事も少しずつ責任ある領域を任されるようになり、学校担任以外の仕事が増えてきた。すると精神的にも身体的にも疲労とストレスが溜まり、体重も少しずつ増えてきた。体型も変わり服のサイズもMからLへと移行していった。
 
 この頃からダイエットを意識するようになった。
 
 43才の時、アメリカで三週間のホームステイを経験した。慣れない環境の中で、緊張の日々を送ったせいか体と顔が程よく締まった。しかしいつもの生活にかえると、また体も心も弛んでしまった。
 
 53才で管理職につくと忙しく緊張の日々が続き、また顔つきが締まり、体も絞られてきた。しかし、時間外勤務が増え、人間関係も複雑になると、ストレスが溜まりデスクワークで運動することが少なくなると前以上に太ってしまった。
 
 定年退職すると、やっと規則正しい生活が送れるようになった。人間関係のストレスも減った。趣味の時間もとれるようになり、食事の自己管理ができるようになると、だんだんと体重も減り体が締まってきた。
 
 この退職した年に姉を肺ガンで亡くした。姉は私にとって母以上の存在だった。仕事の愚痴や相談事をいつも聞いてもらっていた。姉も自分の仕事や家族の世話で忙しい中、一人暮らしの私を案じてくれていた。週に一度は必ず私に電話を入れてくれ、時折姉の家に泊まりに行った。姉も私の家に泊まることがあり、そんな時は二人で夜中までおしゃべりをした。
 
 姉が肺ガンにかかっていると分かってから、現職中は毎週日曜日病院へ通った。退職後は三日に一度、病院に泊まり込んで姉と過ごした。しかし退職後21日で姉は逝った。唯一の心の支えだった姉を失った。喪失感の中で相談相手になってくれたのは義兄だった。妻を失った義兄と姉を失った私と共通の話題は「姉」だった。
 
 二年後、今度は私が乳ガンにかかっていることが判明した。不安な中義兄を頼り、そして私は義兄と結婚した。ガンの手術も無事に終わり心と生活が安定したからか、私はまた太ってしまった。コロナ拡大による行動規制も拍車をかけた。いつのまにかLLサイズの体になり、顔つきも締まりがなくなっていた。
 
 退職後は趣味の一つとして太極拳を始めていた。一日の私の運動量は、家事と趣味のガーデニングが主で、それに週一回の太極拳だけだった。自分なりに三分間ジョギング、薪割り体操、かかと落とし、爪先立ち歩き、開脚運動などいろいろ試したが結局長続きしなかった。
 
 ある日、新聞の広告の中にカーブスのちらしが入っていた。それを見た時私は「これだ」と思った。一回30分、予約の必要がなくいつでも毎日でも行ける女性だけのジム。マシンの扱いはコーチがついて指導してくれる......。早速体験してみて即入会した。マシンは体の各部の脂肪を変えていくよう機能的に設計されていて、負荷をかけると抵抗が大きくなり、消費量が増える。その日の体調に合わせ、気分のすぐれない日でも30分後には、心も体も軽くなっているのを何度も実感した。

 何よりもすばらしいと思ったのは、コーチ達の反応だった。いつも明るい笑顔で親しく名前で呼びかけて迎えてくれる。専門の知識で正しく指導してくれ、励ましとほめ言葉を繰り返しかけてくれる。手を添えて「もう少し大きく速く」と掛け声をかけてくれると運動量のあがるのが分かる。
 
 入会一年半だが、効果が出ているのを実感している。何よりも体が締まってきた。ウエストが戻ってきた。筋肉は確実についており、太極拳の片足立ちが、以前より楽にできるようになってきた。三年ぶりに復活した太極拳の発表会でも、ふらつかずにトンチャオ(両手を広げ片脚で立ち他方の脚を90°程ピンと伸ばす)ができた。
 
 今年74才になる。84才で亡くなった両親の年まであと10年は生きたい。10年間で何ができるだろうか。海外旅行も行きたい。太極拳も四段合格まであと一歩。英会話も続けたい。花たちの世話も毎日楽しみだ。夫と元気に支え合って残りの人生を過ごしたい。その為には心身共に健康でなければならない。体が元気であれば、心も明るくなる。生活が自立できれば楽しい余生が送れる。
 
 人生の終着駅を見つめながら、充実した日々を過ごすための健康をカーブスが与えてくれる。最後の日まで健康でしなやかな心身を保ち続けたい。