小さな布製の手さげ袋を持って出発。バスに乗って一五分もすればカーブスに到着。こんな生活がいつまで続くのだろうか。また、続けなければならないのだろうか。不安や疑問に思うようになった。
 
 七二歳でカーブスに通いはじめて、八〇歳に近づいた頃でした。はじめた頃は用事がなければ毎日でも通った。楽しみだったのに......。年が経ち、三年ほど前に東京から転居して環境が変ってしまったことも要因であった。
 
 以前は公園を抜けて五分も歩けばカーブスに行けたが、いまではバスの時刻に合わせて家を出ていくため気軽さがなくなった。晴れか、曇か、雨か、天候もいつも気になった。つい行くのがおっくうになり、回数がめっきり減っていった。それだけでなく、コロナの勢いが止まらず、それが通わないための正当な理由にもなった。
 
 いったいここに通っている方々はどう考えているのだろうかと思った。東京から移籍して、すぐに気付いたのが高齢者の方が多いことであった。場所柄なのかもしれないと思った。

 一方は都心、いまは横浜の中心から外れたところ。東京に通っている時、年令別の分布図が店の壁に貼られていたことを思い出した。

 それで年齢(八〇歳)が気になっていた私は、コーチの方に「ここの会員さんの年齢構成を調べて教えて下さいませんか」と頼んでみた。私の悩みの参考になると思ったからである。

 そうしたらカーブスから電話がかかってきて「体調はいかがですか」といういつものような問い合わせ。私の決まり文句「まあまあです」と言葉をにごしていると、「以前ケイコさんから頼まれていた利用者の年齢構成の図表ができましたので、ぜひ見にきて下さい」と思いもよらない言葉。これは見に行かなくてはと早速出かけた。

 大きな図表が壁に貼られていた。彼女たちの手で書かれていたもので、年齢別の棒グラフだけでなく、運動している三人の絵も漫画タッチで、ところどころ色をつけて書かれていた。私の頼みを聞いて下さり、すごくうれしかった。

 調べた結果だけ教えてくれるのかと思っていたら、大きな図表でみなさんに見ていただけるようになっていたのだから。さらにその図表を見て私は驚いた。五〇代、六〇代、七〇代が多いとは思っていたが、私の悩みに応えるようになんと八〇代が思った以上に多かった。七〇代が一番多いのも意外だった。八〇代は五〇代と肩を並べて多かった。
 
 私は八〇歳をキリにカーブスを止めようと漠然と思っていたのを取り止めることにした。

 それでも日常の生活は相変わらずで、体を動かすのが面倒。体調不良を理由に行かなくてもいいやの繰り返し。週二、三回が、ついには週一回がやっとという状態であった。コーチからよく電話をいただくようになった。

 その頃、店の壁に週一回でも意味があるという大きな張り紙が目にとまった。私のことかな...。意味があると言われても、週一回か一カ月に二回となると、月々の料金がもったいないから、いっそのこと辞めようと思い電話をしたら、手続きは店の方へ来て下さいとの返答。一応、予約をとった。

 実はその頃から腰に痛みを感じるようになっていた。ふつうの腰痛と違い腰のアチコチが痛むのである。医療関係の知り合いに相談すると、冬場に多い皮膚の乾燥からきているので、保湿クリームを塗るように勧められた。

 そのとき、うっかり運動(カーブス)を止めようと思っていると言ったら、彼女はきっぱりと「それは駄目よ」とクギをさされた。それでとりあえずカーブス退会の予約は取り消した。

 そのうち、その症状に加えて座るのが辛くなってきた。これは坐骨の筋肉の問題と気付いた。それでエアークッションを求めた。このままでは老化進行に一直線だとさすがに慌てた。ここで頑張らねばどうするという気になった。スイッチが入った。
 
 カーブスにマークされていた私が急に現れたのだから、コーチの方が驚いていた。しばらくはカーブスに行くたびに、ケイコさんが来てくれたのねと満面の笑顔で迎えられるようになった。いささかこそばゆいが、ともかく老化をストップさせるために私は行くのだから...。
 
 老化が足にきているのはだいぶ前に感じていた。散歩にいっても前のように力が入らず、よろけそうになることもあった。それが腰の筋肉まで及んでいたのはショックだった。チビの割に腰だけは大きかった。これは筋肉というより皮下脂肪の蓄積にすぎないのだ。いまに大臀筋の低下は排尿の具合にも結びつくと気付いた。老化に伴う脚力の衰えによる障害、それらの宣伝も日々アチコチに出ていて広く知れ渡っているが臀筋は落とし穴だった。

 老化、齢による衰えを私は甘くみていた。行きたくないから行かないということを続けているうちは、さほどの老化はなかったが、結局ついに苦痛となる徴候が現れて、ようやく実態の危険を思い知らされたことになる。
 
 カーブスを移籍してまもなく、電話で「うれしい知らせです」「ゴールドカード」が届いています、と知らせてきた。違った色のカードを持っている人がいるのは気付いていた。それがゴールドカードと呼ばれ、五年籍を置くことで得られるものであるなど関心もなく、何の感動もなかった。いま思えばカーブスにいくことに著しく意欲が低下していたのである。
 
 この二月に八〇歳の誕生日を迎えた。老化の徴候が現れ、カーブスを八〇歳で辞めようなどと思わず、幸いにも八〇歳のハードルをどうにか超えることができた。問題はこれからだ。

 世の中に『八〇歳の壁』という本や、一〇〇歳の時代だのという言葉が溢れている。中身を読んでいないが、きっと、どこにも「これだ」という答えはみつからないだろう。年老いてからの食事、睡眠、運動、楽しみ、生きがいについて書いてあるのだと思う。私なりに考えさせられることがあった。
 
 私にとってのカーブスは、一つの欠かせない生活の道具のようなもので、そこに行きさえすれば必要なものが与えられるのだ。運動嫌いな私にも機械を動かせば、なんとかできる。
 
 私は子どもの頃から鉄棒の逆上り、飛び箱ができず、ブランコも目が回って乗れなかった。そんな私でも全身をバランスよく動かすことも手軽にできる。それをきっかけに生活習慣にけじめができて、満ちたりた気持ちになれるのです。

 それゆえ、これからの問題は、いかにカーブスに通い続けるかである。通う道はいままでよりもきつくなってゆく。確かに週二回を目標にしているが、正直、運動にいった翌日は疲れがでる。痛みも軽くなったり、重くなったり、天気が悪いと止めておこうかとなる。
 
 それでも今回の経験からわかることは、大事なのは気持ち、やる気、動機づけ次第ということである。では、とかく動揺しがちな気持ちを、どのようにしていい方向へ持ち続けていくかだ。この年になって(八〇歳)危機を乗り越えた事実。経験に自信を持つことや、そのときの心の動きを大事にして忘れないで、ときに思い出すことのように思う。
 
 いまは、八〇歳というハードル(壁)を越えたことに祝杯をあげよう。