「あっ」一瞬の出来事であった。

 私は、30メートルの高さから滑落し、宙を舞って下の道路に転落した。
 
 令和2年8月に美術館で開催される個展に向けて、絵画と立体作品の梱包を行っていた。そんな時に、蔦を使った立体作品が頭の中に浮かんだ。無性に制作したくなり、アトリエから車で実家の山に蔦の採取に向かった。
 
 山に到着し、車から降りて、作品のイメージにあった蔦を探すことにした。クネクネとねじれた太い蔦を探した。容易く見つかるものではなかった。蔦を求めて険しい山道を登った。何時間も懸命に探したが残念ながらイメージにあった蔦を見つけることができなかった。
 
 この頃、日々変わるコロナの感染状況への不安と、それに伴う自粛生活で大きなストレスを抱えていた。残念ながら蔦は見つけることはできなかったが、山を登った疲れが心地良く、リフレッシュしてた。
 
 山を下ることにした。登ることばかり気をとられて、急斜面を登ってしまっていたことに気づいた。下り方が難しい。ゆっくりと慎重に下るが、下方向に加速する勢いを殺すのが難しい。重心が後ろに掛かると転びやすくなる。「絶対に滑落しない」と思いながら歩いた。

 その瞬間、滑落してしまったのだ。前転する体を止めようとしても止まることができない。勢いは増し、山を転がった後に、崖から宙を舞って下の道路に転落してしまった。数秒のことだがスローモーションのように感じ、宙に浮いときには死を覚悟した。これで「終わった」と思った。

偶然が重なり、命拾い
 九死に一生というが、近くの山で茶摘みをしていたご夫婦が偶然、私が転落する一部始終を見ていたのだ。このご夫婦は元医療関係者で、退職した後に帰郷し、農家を始めていた。ご夫婦の応急処置と病院への搬送により、命を取り留めることができたのだ。
 
 気がついたときには、病院のベッドの上にいた。背骨と骨盤を骨折、全身打撲、筋肉や内臓も損傷していた。頭は内出血で変形してしまっていた。わずかに手足の指が動くが、寝返りもできない。尿道には管が入れられ、紙おむつをしている。このまま死んでしまうのかと思った。
 
 主治医から怪我の状態と今後の治療について説明を受けた。「これだけの怪我をして、首が折れなかったことは不幸中の幸い、リハビリをすれば体が動くようになる。」と聞いた。

リハビリ生活
 入院してから数日しか経過していなかったが、ベッドの上でリハビリが始まった。寝たきりになると、怪我をしていない筋肉まで低下して、体が硬くなって動かなくなってしまうことがあるらしい。

 ベッドに仰向けに寝て、両足をベッドから浮かせるリハビリを行った。足は打撲のみで骨折していない。しかし、全くベッドから足が上がらなかった。

 リハビリの先生が、「腹圧を意識して下さい。おへそを見るイメージで腹筋に力を入れると足が上がりますよ。」と言った。カーブスのコーチが、「腹圧を意識して」とよく言っていたことを思い出した。少しだけベッドから足が浮いたときには、涙が出てきた。
 
 ベッドの上でのリハビリは始まったが、寝たきりの生活は続いた。顔が洗えない、歯も磨けない、着替えも出来ない。最も嫌だったのは、生理用ナプキンを交換してもらうことだった。

カーブスに入会した理由
 私がカーブスに入会したのは、転落事故の一年前のことだ。四十代後半から、食べたら食べた分だけ太る。体重は、二十代の頃に比べると二十キロ増加。服のサイズは七号から十三号になってしまった。体重増加は、服だけでなく結婚指輪も入らなくなった。
 
 そんな時に、自宅のポストに友人の手紙とカーブスのチラシが入っていたのだ。友人の手紙には「最近、体の調子はどうですか。筋トレは大事だよ。運動すると体だけでなく気持ちもすっきりするよ。」と書いてあった。チラシには、キャンペーン中で体験無料と書いてあった。電話をかけて体験を申し込んだ。

カーブスの体験と入会
 カーブスに体験に行った。店内はポップなデザインで明るい。コーチやトレーニングしている人達はみんな笑顔だった。カウンセリングを行い、健康について考えた。その後マシーンを使ってトレーニングした。運動とは無縁の私には難しかった。「だんだん出来るようになりますから安心して下さい。」とコーチが励ましてくれた。

 カーブスの体験から帰宅した後、「たった三十分だよ。一緒に頑張ろう。」と友人から電話があった。お店の壁に掲示されていた「今がチャンス」の言葉も背中を押し、カーブスに入会した。
 
 カーブスに通うことで、健康を考えるきっかけになった。腹圧を意識して腹筋を鍛えることで、姿勢が美しくなった。段差でつまずくことがなくなった。友達がたくさんできた。そして、カーブスは私の生活の一部になっていった。

腹圧を意識して、腹筋を鍛える。
 病院でのリハビリが始まった。ベッドに仰向けに寝て、腹圧を意識する。腹筋を使って両足をベッドから浮かせる。今思うと、これだけのことだが全然できなかった。「腹筋が大事」「腹圧を意識して」リハビリの先生がこの言葉を繰り返す。カーブスのコーチもよく言っていたことを思い出す。歩くためには、腹筋が大事であることがわかった。

 その後、ベッドに仰向けに寝て、ボールを両足にはさみ上に上げることもやった。これもまた、「腹圧を意識して」と言われた。リハビリ室から戻り、病室でも一人で腹圧を意識して、腹筋を少しでも鍛えようと努力した。カーブスのコーチの笑顔やカーブスで出会った仲間のことを思い出すことが多かった。「退院して、みんなに会いたい。」そう願った。

美術館での個展開催
 個展まで一か月前になる頃には、何とか日常生活が出来るまでに回復し、退院することができた。そして、無事に個展を開催することができた。いつも以上に嬉しい個展となった。
 
 個展の後も、リハビリ生活は続いた。骨折が治れば元気な生活に戻れると信じていた。しかし、主治医から年単位のリハビリになることが告げられた。「命が助かったのだから十分だ。よくなることを信じてリハビリを頑張ろう。」と思った。

カーブス通いを再開
 転落事故から半年後、主治医と相談して、自宅の近くにあるカーブスでのリハビリを行うことにした。医師から「〇〇マシーンは、背骨に負担がかかるので控えてください。」「体の痛みがあったら、無理しないように。」など指導があった。主治医もリハビリの先生もカーブスでリハビリすることを応援してくれた。
 
 心機一転、カーブス通いを再開した。気合いを入れるために、カーブスのカタログで新しいシューズとウェアーを購入した。
 
 コーチの「遊子さんこんにちは、今日の体調はいかがですか。」と入院前と変わらない挨拶から始まる。何でもないことであるが、日常生活に戻ったことが嬉しかった。「元気になってよかったね。」仲間のあたたかな言葉が嬉しかった。
 
 トレーニングについて、医師から細かく指示されたが、実際はマシーンに座ることすら困難で一つもマシーンができず、ステップボードで有酸素運動を一周するのが精一杯であった。カーブスに通えてことや、足が動くことだけで十分満足できた
 
 一日おきにカーブスに通った。自宅から歩いてカーブスに行く。そして、カーブスの後に夕食の材料を買って帰る。何でもない日常が素晴らしいと感じた。

転落事故から三年が経過して
 その後、マシーンを一つずつ挑戦した。一つできるごとにコーチがほめてくれることが、大きな励みになった。
 
 3年が経過して、今、二つのマシーンを残し、十のマシーンができるようになった。いつか全部できるようになると信じている。
 
 今日もカーブスに行く。きっとコーチは笑顔で「遊子さんこんにちは」と言うだろう。