私は今年の3月で67歳になり、若いつもりでも立派な高齢者の仲間入り。学校卒業後、就職し、43年勤務、定年後、なんと2年が経過してしまいました。月日、時間のたつのは、本当に早いものだと実感する毎日。
 
 佐賀県鹿島市にカーブスが誕生して11年、誕生当時から、入会しているので12年目となり、3月にコーチから手渡されたのは、何とプラチナカードです。回数は私以上に多いメンバーさんもおられるが、よくぞここまで続けられたものだと思います。
 
 今でこそ、働き方改革やら、時短などという言葉がありますが、私が現役当時は定時帰宅でなく、残業もあり、通勤時間もかかり、平日の運動のための時間を捻出するなど、夢のまた夢と思っていました。

 神経をすり減らして、毎日疲れ切っていた状態でした。もちろん、ストレスがなかった訳ではなく、食べることがストレス解消でした。年齢を重ねるにつれて、体重増加、健康不安があり、カーブスの門を叩いたのです。
 
 30分で終了するカーブスではありますが、交通事情や仕事の関係で2周運動ができる時刻に入室できないこともかなりありました。
 
 今日はどうしようかな、やめとこうかなという気持ちもよぎります。
 
 私はいつでも通えるように通勤の車の中に運動着とシューズを常備していました。短時間でも良いからほんの何台かでも良いから、マシンを動かし、運動することにしたのです。

 すぐに目標の結果につながらなくても、とにかく続けることを念頭においていたような気がします。同じ目標の仲間がいてコーチの明るい言葉かけがあったからでしょう。
 
 楽しく運動していたのですが、ある日、職場で何と転倒してしまい、右足の膝蓋骨を骨折してしまいました。手術せずに済みましたが、シーネ固定のため、入院することになりました。生まれて初めて車椅子での移動や松葉杖の使い方を学ぶことになってしまったのですが、足を見て愕然としました。
 
 固定されていた右足は左足と比べると筋肉が落ちて、細く頼りない状態になっていました。元にもどるのだろうかと不安でいっぱいでしたがリハビリの際の運動靴はカーブスのシューズを使い、早く復帰し、カーブスにまた通えることを願いながら、頑張っていました。
 
 リハビリの甲斐があって、退院し、無事に職場復帰はできましたが、筋肉だけでなく、体力もおちていたのもは言うまでもないことです。家庭の中で、動くだけでは、運動量は足りません。

 また、一念発起、カーブスで運動を再開です。その時はコーチの明るい笑顔で迎えられ、少しずつですが、足の筋肉も元の状態に戻ることができました。人間生きていれば何があるかわからない、いろいろなことがあるものです。
 
 新型コロナ感染症が蔓延した事も大きな不安でしたがカーブスでは十分な感染症対策を行い、屋外での運動の機会を作ってくれました。体力だけでなく、健康の重要性を知らせてくださるから、知識も増えて、いかに元気で健康寿命を伸ばせるか考えることもできます。
 
 カーブスに通うのには、お金もかかることですが健康はお金では買えません。心の健康も、明るく前向きに考えられることからうまれるのだと確信しています。心も身体も若々しく、姿勢よく、肌も磨き、健康で生きていきたい私です。仲間がいて、明るい声かけをしてくれるコーチがいるカーブスは私には欠かせない存在です。
 
だから続けていけるのです。