私は小さい頃から踊る事が大好きでした。五才頃の記憶ですが、三才上の姉と二人で近所の家に行っては「野崎小唄」を唄いながら踊っていました。出だしの所作を今でもハッキリ覚えています。頭に掛けた手ぬぐいの端をそっとくわえ、私の手を引きながら振り返る姉を見つめてしずしずと歩くのです。どこで覚えたのでしょうネ。あれが初めてのダンスでした。

 小学校では学芸会や運動会で遊戯を踊り、中学校では運動会で初めてフォークダンスを踊りました。高校のダンス部では、年に一度公会堂で踊れることがとても楽しみでした。社会人になってからは、一時社交ダンスが流行っていて、クリスマスの頃はあちこちでダンスパーティーがあり、よく踊りに行ったものです。今思えば社交ダンスと言うより、音楽に合わせて簡単なステップをくり返す楽しいダンスでした。

 結婚後はそんな機会もなく仕事と家庭生活の明け暮れでした。ところが五十才を過ぎた頃再び社交ダンスに巡り会ったのです。友人に誘われて正式に習う事になりました。大好きなダンスなので、病気で止めるまで二十年近く続けられました。小さな大会でしたが、六十才以上の部で優勝して人生で初めて大きなトロフィを戴きました。
 
「リズムダンス」との出会い
 六十五才で退職した頃、友人の誘いで「中高年の健康体操教室」に入会しました。ここではストレッチや軽い筋トレ、リズムダンス等が組まれていて、中でも脳トレを兼ねたリズムダンスが大好きでした。先生はとても明るく楽しい方で、和やかな教室なのです。友達も出来て、教室の後のランチとおしゃべりが楽しくて今も続いています。
 
「病気」との出会い
 七十二才まで病気知らずだった私の身体に異変が起きました。運動を始めて十分位経つと胸の奥が痛くなるのですが二分程すると治るのでそのままにしていました。何年かぶりで風邪をひいて近所の内科に行った時、その事を話すと検査が必要と総合病院を紹介されました。

 三日間の検査入院の結果、「労作性狭心症」と診断されました。心臓の血管が七ヶ所で狭くなっていて、運動をすると狭くなった血管を多量の血液が流れるので胸が痛くなるのだそうです。もし七ヶ所のどこかで血管が詰まったら「急性心筋梗塞」になるかも知れない。早期に手術が必要と云う事で、自分の両足の血管を使って「冠動脈バイパス手術」を受けました。七時間の手術を無事に終え、一ヶ月後に退院出来ました。

 それだけでも筋肉は確実に衰えたのに、退院後は安静にと、私がやっていた家事一切を家族がやってくれたので甘えていたら、益々筋肉が衰え眠っていた「脊柱管狭窄症」が目を覚ましたのです。二百歩程歩くと股関節が痛くて歩けなくなり、二分程休むと又歩けるのです。「間欠跛行」と云うのだそうです。何らかの原因で脊柱管が狭くなり足腰の神経を圧迫するので色々な症状が出るのです。

 私の場合はダンスや体操のお陰で筋肉があり症状が出なかったらしく、病気で筋肉が衰えた為一気に症状が現れたのです。整形外科を何ヶ所も廻ったけれど思わしくありません。今通院中の病院でも、薬もブロック注射も効果がないので、後は手術しかないと云われました。でも二年前に脳塞梗を煩った主人を置いて一ヶ月の入院はとても無理です。手術が出来ないならリハビリをしなければ歩けなくなると云われ、週一でリハビリに通っています。
 
「カーブス」との出会い
 手術から一年余り経ち、何とか筋肉を付けたいと思っていた時、近くに「フイッツミー」がオープンしたのです。迷わず入会しました。その時はまだ「カーブス」が無い時で、内容は「カーブス」とよく似ていました。十分以上立っていると痛みが出てくるので、三十秒毎にマシーンに座るのが私に頂度良かったのです。五年続いて体力も付き、休まずに八百歩程歩ける様になった時コロナが始まり、少しして「フイッツミー」が閉店したのです。
 
 手術後、社交ダンスは締めましたが、半年後に体操教室に復帰しました。ところが五年程経った時コロナが全国的に広がり始め、無期限の休みになったのです。やっと体力も回復してきた所だったのに、また一歩後退でした。半年後にコロナが少し落ち着いて来たので、万全の態勢で体操教室が始まりました。でも筋肉が衰えていて、やっぱりリズムダンスは出来ません。私が出会った「最後のダンス」なのにと思うととても淋しかった。
 
 そんな時、「カーブス」の折り込みチラシを見たのです。すぐに入会しました。今十一ヶ月目です。コーチの皆さんがとても明るく声かけしてくださり、「弘子さぁん」と云われるとなんだか嬉しくなります。初めての計測の時、今月の目標は?と聞かれ、体力アップと「体操教室」のリズムダンスが出来る様になりたいと答えました。
 
 そして奇跡が起きたのです。入会して二ヶ月経った時、なんとリズムダンスを休まず最後まで出来たのです。しかも一時間半のプログラムを一度も休まずに、です。嬉しくて涙が出ました。あまりにも突然で、先週の教室まではあんなに痛かったのに。次の週も大丈夫でした。次の週も、その次の週も、その次の週も......。
 
 カーブスのお陰、体操教室のお陰、リハビリのお陰、すべてに感謝です。計測の時に報告したらとても喜んで下さいました。
 
 リハビリに行くといつも「何歩歩けましたか」と聞かれるので、週一回はカーブスまで歩いていました。家から八百五十歩です。時々休みながら、やっとの思いでした。でもこの時は二千歩歩けたのです。スーパーで買い物をしてお花を忘れたので取りに行く事になり、試しに歩いてみたのです。休み休みでしたが何と二千歩あったのです。帰りは大変でした。
 
 私の生活圏。カーブス八百五十歩、内科医院五百歩、銀行五百歩、郵便局六百歩、行政センター六百五十歩、スーパー二千歩。これなら三年後に八十五才で免許証を返しても大丈夫と少し自信が持てました。欲を言えば体操教室まで歩けたらいいなぁ。五千歩はあるかも。そしたら車がなくても週一なら通えるネ。ガンバレ私。
 
 そして、嬉しい事が二つ有りました。一つは夫を亡くして沈んでいた姉が、私の話を聞いて、すぐに入会したのです。今まで近くに居てもなかなか会えなかったけど、カーブスのお陰で週二、三回は会えるのです。もう一つは体操教室のYさんが、教室での私を見ていて興味を示したので、「一ヶ月の無料体験が有るけどどう?」と話したら、「一度行って見る」と言ってたのに、その場で入会して来たと云うのには驚きました。

 そして「背中を押してくれて有難う。運動が苦手だったけど楽しい」と言ってくれたのです。本当にうれしかった。
 
 年と共に身体は衰えるけど、生きている間は自分の足で歩きたい。その為にカーブスで頑張ろう、歩数を延ばせるよう頑張ろう!!
 だから私は「カーブスを続ける」のです。