私が読んでいる月刊紙三月号にカーブス社長のインタビューが出ていました。
 
 カーブスについて。
第一に高い脂肪燃焼効果が得られ、生活習慣病や認知機能の改善にも役立つことが様々な科学的研究から明らかになっています。
 
 そして、インストラクターに会いに来ていただく。インストラクターとの人間関係をつくっていただく。
 
 三つには、カーブスで仲よくなった友達に会いに来ていただく。心許せる女性同士のコミュニティーができることによって、運動を続けようという動機が強まっていくんです。
 
 以上の三つを大事に守り深めてきたこと。特に、お客様に健康になってもらいたい。地域を健康になってもらいたい。地域を健康にしたいとの使命感に溢れるインストラクターの存在がカーブス一番の強みだと思っています。このようにおっしゃっています。
 
 私と友人は、社長の言われる通りと思いつつ、週三回を頑張っています。百歳への階段を登りはじめ、しっかり生きようねと、たえず励ましあっています。
 
 十時までの開店より二十分ばかり早く着くように、友人は十分、私は二十分の距離を歩いて通っています。しばらく休んで体を落着かせます。カーブスが近くにあってよかったねと話しています。
 
 マイカーで来ていた人々は、免許を返納したら、歩いて二週来ることが出来ず、何人も辞めてしまった事は残念ですし、とてもさみしく思いました。
 
 私たちは二週目を疲れながら終わると、しばらく休んで、いろいろ話をして帰ります。
 
 友人は今年に入ってから、腰の具合が悪いとかで杖を使っています。友人と別れて私は買物をして帰ります。車を使わず買い物籠を下げて歩きます。買い過ぎて重たくなる日が何回となくあります。それらをリュックに入れて帰ります。家に着き、買って来たものを始末して昼食をいただきます。この時、かならずプロテインを飲んでいます。
 
 カーブスに行かない日でもいろいろと体を動かす努力をしています。毎日かならずやる事は二つあります。先ず朝起きる時は、床の上で軽い手足の運動をしてから立ち上ります。
 
 朝食の準備が終わると、仏壇の前に座り、背筋を伸ばし、大きな声で読教を朝夕二回いたします。午前と午後、五分間のテレビ体操もしています。月二回のふれあいサロンへ、友人と行っています。軽い体操をし、クイズに答えたり、最後にゲームをして紅白に分れ競います。一時間半を楽しく過ごしております。
 
 もう一つプラスがあります。家庭菜園をやっています。草を取ったり、畝を作るのに鍬入れするのが、大変疲れ一時間が限度です。それ以上の無理はしません。きれいになった畑を眺めるのがいいものです。
 
 私は長年俳句をやっているので、先日このような俳句を詠みました。

 春耕のわれにエールやヘリコプター

 畑仕事をやっている頭の上をヘリコプターが音をたてて飛んで行ったのです。家庭菜園が出来るのも、カーブスへ通っているからだと思っています。皆さんにお元気ですねと言われ、おかげさまでと言っております。
 
 そんな私ですが難病と言われるものを持っています。
 主人の転勤で、銚子市へ出発する朝、顔、手足が真っ赤になっていました。どうすることも出来ず出発しました。銚子に到着。引越し荷物をかたづけると、近くの皮膚科へ行きました。

 何回目かにこれは薬疹かもしれないと言われました。銚子市への出発の前に、心臓の薬を内科の医師からもらって飲んでいたのです。そこで、これかもと思い入院の準備をして、東大病院の皮膚科を受診しました。飲んでいた薬を持参し、診察の結果薬疹とわかり入院することになりました。点滴注射を受け、よくなり退院することになりました。

 この時の血液検査で肝臓に異常があることがわかりました。しかし、肝臓専門の医師は病名を言ってくれませんでした。体にはなんら変化はなく、元気に退院することになりました。この時、銚子での主人の仕事が一年で終わり帰ることになっていましたので、その事を医師に告げましたら、金沢大学病院の医師に紹介状を書いてくださいました。病名はわかっていませんでした。
 
 金沢大学病院へ通いはじめましたが、薬はなく時々エコーで肝臓を調べるだけでした。この医師が外来患者を診なくなり、代わりの医師になりました。この医師が病名もわからないのではと、入院して調べましょうと言われました。
 
 入院してさまざまな検査を受けました。腹腔鏡で肝臓そのものも調べました。その結果病名は「原発性胆汁性肝硬変」という難病だと言われました。五十八才でした。それ以来薬を飲み続け、エコー・CT検査、血液検査を行っています。私はずっとずっと、元気でいますが、血液検査による病気の原因となっている血液の数値が上がり続けているのです。
 
 正常値が三十以下であるのに、私は年々高くなり、現在百七十なのです。いったいこの後どうなるか心配です。
 
 しかし、私はとても元気で、週三回のカーブスを続けています。規則正しい生活をしてしっかりと百までの階段を一段一段登り、生きて行きます。
 
 昭和七年四月二男三女の二女として誕生。現在は妹と二人生存。
 七歳の時父脳梗塞にて五十一歳で死亡。
 昭和十九年七月、空襲にて家が全焼。
 二十三歳で結婚。男子二人誕生。
 平成十六年夫が二十日間入院し心臓病で死亡。