週3回。今月はカーブスに行く日。Tシャツどれにしようかな。「そうだ、水色の花柄の可愛いのにしよう。これはお友達を誘って入会してくれたので頂いた物だ。」少し派手だけれど気分が明るくなる。年令を気にした色合いの服だとくすんだ色ばかりになるので、晴れやかな気持ちを続けたいから若やいだ服装を心掛けて身に付けたい。

 急いでいる風に歩く事、これが肝要だ。前を向く事がなくなったら女はおしまい。幾つになっても腹筋をつけさっそうと歩きたい。筋肉は希望と同意語だと作家、林真理子氏の本から得た。

 コーチの皆さんにも感心させられる。最初にコーチとして私達の教室に入られた時には、少しふくよかな体形の方だったが、ここ2年の間には引き締まった姿になり背中のラインが美しい。コーチの皆さんが熱心に指導してくれる。

 先日も久しぶりに会ったカーブスのお友達と話が弾み、コーチの人達の事が話題になり70代後半まで長く通っているとどうしても自分流になってしまうが、そこの所をうまくカバーしてくれて教室のムードが良いねとこれからも続けようねと言って別れた。

 帰り際スーパーで買い物をした。通路で春頃より見かけた人に出会い、私と変わらない年代と思い声を掛けると、先方も私に気づいてくれて足腰の弱さに悩んでいる様子。90代の姑さんを介護されていて、田舎故だろうか、近所の人達から体操に行っているのかといぶかしく思われるとの事。他言を気にせず、自分のこれ迄歩んで来た人生のご褒美を獲得して是非続けて欲しい。車の運転を家族の方に止められているから、コミュニティバスを利用したり帰りは電車駅迄歩く。それもリハビリとの思い、敬服の念である。マスク生活から少しは解放される日が近づきつつあるが良い方向に流れて欲しい。

 疫病の蔓延は時代を遡ってみてもいろいろとあるものだ。命の大切さを痛感させられるのがウクライナ問題だ。ロシアの不当なる侵略によって沢山の生命が失われ、この忌わしい戦いはいつ迄続くのだろうか。日本の戦後七十七年平和な国になったのだが、これ迄母親達がどんな思いで過ごしてきたかが実感として伝わってくる。

 昔「ひまわり」の映画を観た。畑一面に咲き誇る黄色の鮮やかさが、映画館のスクリーンに現れた時の感動が懐かしい。ソフィアローレン演ずる妻が夫の消息を捜すストーリー。ウクライナの地方で撮影されたとか。現在のガレキの山と化した街並、子供達の悲痛な叫びが聞こえてきそうだ。子を想う親の気持ちはいつの世も不変だ。歌人与謝野晶子が100年前の日露戦争の頃の作品で、旅順の攻囲軍にある弟宗七を欺いて詠んだ「君死にたまふことなかれ」ああ弟よ君を泣く君死にたまふことなかれ、末に生まれし君なれば親のなさけは勝りしも親は刃をにぎらせて人を殺せと教へしや、人を殺して死ねよとて廿四までを育てしや。まだまだ続く晶子の叫び。

 明治十一年に大阪堺市の商家の三女として生まれ数多くの詩や短歌を創作した。一躍日本近代主義運動の女王として君臨し、感性の解放女性の自由の獲得を目指した。「反戦歌」国賊と罵られた時もある。七人の子供を育てあげ、多忙の日々を過ごしたであろうが、子を想う母の切なる願いが現代の世相にも通じるものがある。

 カーブスの語源というかどういう意味だろうかとコーチに聞くと、しなやかボディを表現しヴィーナスの様な柔らかな体形と精神力、納得だ。

 今日は着付け教室の稽古日。秋の発表会に向けての夜の教室の人たちとの合同練習。仕事を持たれている方達との交流は中々出来ないが、カーブスで見かける顔ぶれがあり話を聞いてみると、四ヶ月位前から通い始めて体重の減少、健康診断でひっかかる数値が劇的に下がったとの事。忙しい時間をやりくりしての結果がすごい。

 家での段差に躓く事が多くなり洗濯物を取り込んでいる時、両手に抱えて家に入ろうとした時、砂利を敷いている庭で足が上がっていなかったのか、思いっきり転倒してしまった。洗濯物がクッションになり、幸いにも怪我がなくて済んだ。今迄こんな経験をした事がなかったので、足腰の衰えを自覚し猛省した。指の感覚も鈍くなり、食器を落として割る失敗もある。

 しかし、ポジティブに考えたら、筋肉がついているから年令の割には良い方だ。秋頃より間食をしなくなったら体重が2㎏減った。膝が痛くて正座が出来なくなっていたのが、いつの間にか気にならなくなった。体重1㎏につき膝への負担が4倍かかるとコーチに教えられ、うれしい成果が出来てきた。

 検診で背中の異常が指摘され、再検査の結果加齢に寄るものだと診断され、姿勢良い日常生活を過ごしてと言われた。頸椎症の疫病を抱えているので、極力姿勢に気をつけているので、これからも今迄の生活の質を落とさないようにしたい。

「運動脳」という本を読んだ。作者は一九七四年スウェーデン生まれで精神科医。「スマホ脳」の本が世界的にベストセラーになった。運動と脳の関係、これは密接な位置にある。体を動かすことで脳細胞が増える。これは理に適っていると思う。記憶力、意欲、子どもの学力。散歩は大脳前頭葉を刺激して何歳からでも効果がある。「歩く」は薬。週5~20分で認知症発症率が大幅減。大人も子供も「4分」運動すれば集中力と注意力がアップ。毎日たくさん歩く子供は、ストレスを感じにくく気持ちが安定する。孫達も学校迄二十分程を元気に通っている。

 十二月のマガジンで90代の方達の元気ハツラツとした姿に感動。幾つになっても運動出来るんだと実感した。同居する小学四年生の孫が「ばぁば、お茶の稽古をして欲しい」と要望された。「えー」とびっくりした。男の子だし興味は無いと思っていたが、今は動画とやらでお茶の作法を見た様子。いつ迄続くか判らないけど、私も一緒になって楽しもうと考えた。秋頃より始めて週一のペースで続いている。釜の前に座り気持ちを落着かせる、この時間が心の栄養になればと願っている。孫が大人になった時、「ばぁば」と過ごした時を思い出してくれれば本望。

 腹筋を強くして詩吟の稽古にも励みたい。私の誕生日に稽古があり、教室の皆さんから高齢になっても挑戦する姿、気持ちが若やいだ雰囲気だと言われ、益々ファイトが沸いてきた。誕生日が来ると「ぞっとする」と常々家族にも言っていたが、小学生の孫からは「まだまだ元気で頑張って」と言われ「そうだね。中学生・高校生になった姿を見たいから楽しみにしているよ」と言うとニコニコ顔が返ってきた。

 幸せになる為に最大限の努力をしたいなら、一番重要なのは幸せを無視する事。これはどういう事だ。恒常的な幸福感などは人間にとって自然な状態ではない。逆説的に考えてみると、余り幸せを求め過ぎてもいけないのだ。ありのままを受け入れる。これが中々難しい。古典の徒然草の中に「人、死を憎まば、生を愛すべし、存命の喜び、日々に楽しまざらんや」というくだりがあるが、一日がいとしい命の積み重ね、やりたい事を後まわしにはせずまっしぐらに。

 一年を振り返りながら、日々の暮らしの中から喜びと感謝の気持ちで過ごせたらと願う。しっかり食べて運動をして、フレイルにならない様に自分の身体のメンテナンスをしっかりとして、ささいな事でも誰かから必要とされている事を感じ、驕りたかぶらないで謙虚な気持ちで過ごせる様に努力したい。