「明美さん、こんにちは!」カーブスの玄関に入ると、まず聞こえてくるコーチの明るい声から、私のカーブスでの筋トレは始まります。

 2017年7月からカーブスへ通い始めました。通うきっかけになったのは、坐骨神経痛になり、腰痛に悩まされるようになって、整形外科の主治医から筋肉をつけなさいと言われて悩んでいたことでした。

 ちょうどその頃、久しぶりに会った友だちが痩せてきれいになっていたので、どうしたのと聞いたら、カーブスに通っているとのこと。

 カーブスって、どんなところだろう?早速、ネットでカーブスについて調べました。30分間で筋トレができる、80歳代の会員もいるんだ。私は若い頃に慢性関節リウマチにかかり、病気で固まってしまった関節が何か所かあり、筋トレマシンを使うことに不安がありました。

 でも、80歳代の人ができる筋トレなら、私もできるかもしれない。そう思い、思い切って無料体験に参加しました。
 
 建物の2階にあるカーブスへの階段を上がっていくと、中から軽快な音楽が聞こえました。入ると、音楽の合間に、英語で指示語が流れて、とてもお洒落な感じで、私のイメージしていた、年配の方たちが黙々と筋トレをしているイメージがふっ飛びました。

 カーブスのコーチに「明美さん、カーブスへようこそ!」と迎えられました。下の名前で呼ばれるなど、学生時代以来何年ぶりのことでしょう。初めはちょっと恥ずかしかったけれど、コーチのことが指導する人というよりも、もっと身近な存在に感じられました。

 丁寧なカウンセリングで、持病のこと、動かせない関節があることを、私のファイルに書き込んでいただけました。筋トレマシンを他の人と同じように動かせなくても、エアーでできることも分かりました。すぐに入会しました。

 リズムの良いバックミュージックを聞きながら、コーチに励ましてもらって、私のカーブス生活が始まりました。

 通い始めて1か月もしないある日、夫から「お腹へこんだね。」と言われました。腰痛が出るようになってから、痛みが怖くて腹筋運動ができないでいましたが、いつもコーチから「腹圧を意識してくださいね。」と言われ続けたことで、その成果がでたのかなと思い、「そうかな~?」とドヤ顔で、答えました。

 少し身体に変化がでると、嬉しくなってカーブスへ行くことが楽しくなり、月に1度の測定で、その成果が数字で表れるため、それが励みになっていきました。仕事等で予定が立て込んでカーブスに行けない日が続くと、コーチから電話をいただきます。

 「お元気ですか?今度は、いつ、いらっしゃれますか?お待ちしていますね。」その後、久しぶりにカーブスへ行くと、「よくいらっしゃいましたね。今日来れた自分を褒めてあげてくださいね。」と声をかけられます。帰り際にはかならず「明美さん、お疲れさまでした!」という言葉で見送っていただきます。

 運動した達成感とともに、コーチの暖かい言葉が自分の心を軽やかにしてくれました。しばらくすると、酷かった肩こりがなくなっている事に気がつきました。肩こりからくる頭痛に悩まされて、針治療へ月1回は駆け込んでいましたが、それも必要なくなりました。

 帰省すると、両親から私の歩き方が良くなったねと驚かれました。以前から私には右ひざに痛みがあり、足を引きずるように歩いていたのです。カーブスに通っていることを話すと、母が興味を示しました。

 母は80歳を過ぎて足の力が弱くなり、少しの距離を歩く時も父の見守りが必要でした。早速、母を誘い、実家に近いカーブスの無料体験へ2人で参加しました。

 母は「できるかな~」と言いながら、初めて会ったコーチから優しく励まされて、筋トレマシンにチャレンジしていました。「娘さんと一緒に運動を頑張れますね。」というコーチの言葉に背中を押されて、その場で入会しました。

 その日の帰り、母がカーブスで着るスポーツウェアーを一緒に買いに行きました。試着室で服を選ぶ母は、子供のようにはしゃいで、楽しそうでした。こうして、母のカーブス生活も始まりました。
 
 私たち親子は、カーブスという共通の話題が増えて、時々、電話でお互いのカーブスでの様子を語り合うようになりました。母は長く会っていなかった友だちとカーブスで偶然再会できたことや、コーチに褒めてもらったことなどを嬉しそうに話していました。

 母が通うようになって少し経った頃、父から電話がありました。「お母さんがカーブスへ行くと、すごく元気になって帰って来るんだよ。『いったいカーブスでは何をやっているんだ?俺も行ってみたい』とお母さんに言ったら、『女の人だけしか入れないの』と言われたよ。カーブスって、すごいな~」身近にいた父が、母の変化を一番感じていました。

 私も帰省した時、父の車で外出して車から降りる際に、以前は介助が必要だった母が、ひらりと1人で車から降り立ったのを見た時はびっくりしました。

 母がカーブス生活に慣れてきた頃、コロナ禍が起きました。母も私も持病があり、免疫力が弱く、人との接触を避けるため、カーブスは退会せざるを得ませんでした。

 買い物に出歩くこともままならなくなり、両親は生協の配達に頼って、病院への通院以外は家に引きこもるようになりました。ワクチン接種もまだできなく、自分が両親にウィルスをうつすことを恐れて、私は帰省できませんでした。

 様子を伺うために電話をしていましたが、最初の頃は必ず電話に出て話していた母がだんだん電話に出なくなりました。父から母が横になることが増えて、食事も以前より食べられなくなったと聞いても、私には母のそばで寄り添うこともできませんでした。

 カーブスを退会して約1年後、母は脳梗塞を発症して、2か月闘病ののちに亡くなりました。あのままカーブスに通うことができていたら、母は今でも元気に生きていたのではないかと思います。

 私は、母が入院した直後、約1年間のブランクを経てカーブスへ復帰しました。まだコロナウィルス感染の心配はありましたが、私には迷いがありませんでした。なぜなら、母が、80歳を過ぎても筋トレで身体は変わることができること、そして、その身体を動かさなければあっという間に衰えてしまうことを、身をもって教えてくれたからです。

 復帰して半年間、今までを取り戻すように、カーブスへせっせと通い、5キログラム近く減量ができました。コーチやカーブスで一緒のお仲間に「痩せましたね」と褒められて、達成感いっぱいでした。

 しかし、その数か月後に乳がんが見つかり、入院手術をすることになりました。今回は2~3か月休むことになっても退会しないと決めていました。コーチにしばらく休むことを伝えると、「退院後の復帰の時はサポートしますから、安心して戻ってきてくださいね」と言って下さり、退院後1か月でカーブスに戻れました。

 80歳代の母が短期間であんなに元気になったのだから、私がカーブスを続けていけば、きっと母と同じ年齢になった時、母以上に元気ではつらつとしていられると確信を持っています。

 カーブスのドアの向こうの「明美さん、こんにちは!今日も来れましたね!」というコーチの声が聞きたくて、今日もカーブスに向かいます!