骨密度UP
 
 右腎ぞう摘出後、年一回骨密度を大学病院で検査している。令和五年三月二十四日、今年の結果が出た。女医の主治医がにこにこしながら、「去年より骨密度UPですよ」と検査表をみせてくれた。腰椎、大腿骨の%値が昨年より数値が上がり、特に大腿骨は、「異常なし」と私もびっくりするくらいだった。

 しかも同世代の人に比べて標準値以上との結果に主治医は「八十歳をこえると、次第に高密度は低下するのに...。」私は運動と食事、たんぱく質を摂る食生活を説明し、四年分のデータを印刷してもらった。カーブスに入会して、運動、たんぱく質十二点の食事を心がけた三年半の目に見える成果です。「足す一」とおうちカーブスのお陰だと感謝しています。
  
 おうちカーブスの決断
 
 お店までの距離が、遠い。運動、筋トレ、ストレッチなど入れて往復一時間半ぐらいかかる。疲労や、都合でお店を休む日などのストレスを一気に解消してくれた。自分のヒマな時間、予約なしの筋トレができることは、本当に嬉しい。コーチの「腹圧入れて!キープ」が心地よく頑張る励みになる。お店と同様脈拍はかり、有酸素運動などコーチが丁寧に指導してくれるので、しっかり筋トレが身についた感じ、実感している。
  
 虚弱体質(フレイル)結婚へ
 小さい頃から、病弱だった。いわゆるフレイル状態。好き嫌いが激しく生臭い魚類、肉類はあんまり食べず、塩サバ、タマゴ焼きぐらいしかたん白質が足りなかった。終戦直後の屋久島での少女時代は、やせ細って、体力もなく、五人兄弟の長女でありながら、常に風邪引いたり、ハシカなども快癒が一番遅かった。大人になり不調をかかえながら、仕事にも情熱を注いだ頃、主人と知り合い結婚する。主人は、体調不良を理解してくれ、のちに子供たちへ「骨皮すじえ門だった。」と述べている。なんでも食べる主人の影響で少しずつ魚、肉も食するようになった。三人の子供に恵まれた日々にも、生理の度、体調を崩し寝込む事が多かった。
 
 腎ぞうガン摘出
 主人の退職後、子供も巣立ち、やっとゆとりある時間を得た頃、父、妹とたて続けにガンで亡くなった。できる限りの看病をした。喪失感が薄れた頃、私にも異変が起こる。父の死後、早期発見の重要性を知った私は、病院で検査をしていたが、妹は元来元気だったのが裏目にでて、手遅れ、苦痛をこらえながら逝った。CT検査の結果、左副腎、右腎ぞうに腫瘍がみつかる。まず副腎からの治療、ガンに直接抗がん剤注入、八十%壊死させてから、右腎ぞう摘出が済み、腎ぞうは一つになった。
 やがて透析へならないよう、塩分、食事制限が始まる。
  
 主人の介護
 病弱な妻を理解し、手術当日、私は冷静、主人は心配の余り、病院で倒れ点滴を受ける始末。その主人が退職後、六年過ぎた日、犬の散歩中、犬同士のケンカで、パニックになった。
 検査の結果、軽度の認知症と診断介護が始まった。元気な内は、できる限り、悔いのないよう介護への気持ちが固まり、十六年近く、公的な機関の利用、ケアを受けながら介護が続いた。主人はまず足から弱り、杖へ、認知状態も妄想がでたり、紆余曲折をたどりながら、ディサービス、規則的生活を心がけたが、やがて車椅子へとなり、私もストレスがたまり、見かねた子供達が施設への入所を勧めてくれたが、今度は中々入所できる施設はみつからなかった。
  
 シェーグレン症候群と診断
 手の第二関節の腫れに気づいて、かかりつけ医の紹介で専門医を受診。膠原病(自己免疫疾患)だった。その中の一つ、乾燥を伴うシェーグレン症候群。ドライアイには長年悩まされてきた原因が膠原病、体調不良も、腎ぞうなど臓器も攻撃されていた可能性は大と言われ、小さい頃からの病弱などすべての原因がわかり、ホッとすると同時に治療開始、ステロイド服用から始まる。
  
 主人逝く
 このままだと、二人共、共倒れの危機に、長男が動き、施設をさがしてくれる。令和二年九月から入所、コロナ感染の報道がちらほら聞こえてくる頃、順調に施設にも馴れたころコロナの爆発的広がり、面会もできない期間が続いてる中、コロナ感染。受け入れ病院での誤嚥肺炎の繰り返し、ついに命が尽きた。令和五年八月六日、八十六歳の人生だった。泣いた。涙が枯れるまで泣き、コロナ第六波の真っただ中、家族葬を営み、忙しさの中に紛れ四十九日を済ませたころは、ホッとしている私がいた。
  
 カーブス入会
 入会は、主人が施設に入った年の令和二年十月、ヒザの痛みや、ボッとする時間が多くなった頃、無料券をもらいメンバーの友へ相談して体験へ出かけた。女性だけの三〇分、十二のマシン、栄養指導など、これまでのストレッチ体操、太極拳にない新鮮なミニジムに惹かれ、すぐ入会した。最初は早いリズムに乗れず、モタモタしどうしでしたが、次々と私の体に変化が起きた。スッキリする。汗をかく眠れる、食事の十二点たん白質摂取で食欲が増し、少しずつ体力が漲ってくるのがわかった。この変化を、コーチに話すと、拍手してくれ「すごい、さちこさん頑張りましたね。」と褒めてくれるのが又、励みになった。

 足腰を鍛えるマシン、ヒップアブダクター、レッグエクステンション、スクワット、レッグプレスのカタ仮名を覚えて、集中力を高めていった。カタ仮名を覚えることが、認知症予防にも役立つと思う。頭もスッキリ、太もも、ふくらはぎに筋トレ食事で筋肉がつき集落内のウォーキングも何周もできるし、一日八千歩~一万歩まで体力、自信もついた。
 
 お店の階段、二十三段も手すりなしで登ることを、カーブスプリンセス二〇二三の目標に揚げ、一月~二月で、手すりなしで登り、目標を達成し、表彰状もいただき、コーチから褒められ、頑張ろうと思うことだった。カーブスへ入って、一番のいい事、体力、筋肉骨格筋、骨密度が増え、私自身に自信がつき穏やかな老後を楽しみながら暮らしている。
 
 これからは、無理せず、食事、足す一、おうちカーブスで現状維持ができたらと思う。