人生には誰しも分岐点で迷う事がある。しまったあそこで曲っておけばよかったと思うことがあるのではないか。でもそれが正解であったかどうかは、神のみぞ知るのかと思う。
 
 私は、高齢者と呼ばれるようになった頃、右の道を選んだ。そして自宅で二階から落ち、腰椎骨折。手術し、リハビリをするも満足な歩行は困難で、杖に頼る生活となった。

 更に悪いことは重なるもので心臓に疾患が見つかり手術し、ほぼ寝たきりになった。夫では自宅介護もままならず、施設に入所した。三人の子どもは海外や遠方で居を構え、コロナ禍も重なり面会者はほとんどなくなった。何の楽しみもなく、このまま生涯を終えるかと考えると空しいばかりである。
 
 でも違う。右ではなく左へ進んだ私は、カーブスの扉を開けた。誰に勧められた訳でもなく、自分の意志で入会した。
 
 確かに階段からは落ちた。最上段から。その瞬間は今でも脳裏に焼きついていて、スローモーションの世界に陥ったようだった。痛みで顔を歪め、落ちたままの体勢で横たわるだけだった。

 遠くで「大丈夫か。救急車を呼ぼうか。」と夫の声が聞こえたが、口が開けず辛うじて指で×印のサインを出したことは記憶にある。

 どの位時間が経過しただろうか。驚きと恐怖心の中、ゆっくりゆっくりと瞼を開け、手足の順に指を動かしてみると、どこも不都合はない。次は少しずつ体を動かしてみる。またまた不都合はない。今度は柱に身を委ね立ち上る。そっと足を前に出してみる。歩ける。運よく骨折はないようだ。神様ありがとうと感謝するばかりであった。
 
 午後からのカーブスにも行けた。慎重に慎重に軽めの運動ではあったが。
 
 さて、翌日以降の私の体は悲惨を極めた。背中、腰から足首まで黒アザが発生した。好きな温泉など行けた道理ではない。それでも一ヶ月後にはアザも目立たなくなった。

 後日通院の折、医師にこの事を伝えると、なぜ受診しなかったのかと笑いながらも咎められた。筋肉は断裂したものの骨まで到達しなかったから良かったと、呆れられた。「だってカーブスで筋トレをしているんです。」と自慢気に病院を後にした。
 
 その後、心疾患を患ったものの、元気で過ごしている。たん白質の摂取もずい分気をつけるようになった。
 
 カーブスに通うことに対し、人それぞれに着眼点は異なる。息抜きしたい人、他人と係わりたい人、会話を楽しみたい人、健康を維持したい人など様々。私は自分なりに正しい運動方法で効果的を心がけている。

 今一番はボード上では肛門をギュッとすぼめることを意識し、腹圧を入れ、つま先立ちであるくこと。紙パットのお世話になるのはずっと先のことでありたいからだ。

 入会前と比較して体重は十キロ近く減った。(元がありすぎ。)でもまだまだ。

 計測時に一喜一憂しても仕方ない。要は筋肉量を増やし骨を丈夫にすること。こんなに通っているのにちっとも痩せないと嘆く人もいる。高齢になれば代謝も下がる。若い頃とは違う。現状維持を続けることも〇。
 
 こうして、あの日左の道を進んだ私は、満足した老後を送っている。

 「初春やジムのマシンの整然と」

 初句会の折、私の詠んだ句である。一月最初のカーブスに通った日、眼に飛び込んだ風景。これからもよろしくね、マシンたち。