我が家は、夫1人息子2人の平均的な4人家族だった。現在は息子たちはそれぞれに家庭を持ち、団塊世代の夫との高齢者世帯である。結婚46年。ここまでくるのはまさに山あり谷あり...あっという間の年月だった。一番深い谷は奈落の底。もう這い上がれないのでは...と思う程の日々だった。
 夫が49歳の時、骨腫瘍と診断されたのだ。驚きと動揺と混乱、涙も出ない程強烈な残酷な病名だった。私の知る骨腫瘍〔骨肉腫〕は若い細胞の青少年に多い病気というイメージが強かった。それゆえに、何本もの映画やドラマの題材にもなっていたように記憶している。
 始まりは膝の痛みだった。
 当時の夫は年齢的にも公私ともに忙しく、ゴルフにもよく行っていたこともあり「年をとると膝が痛くなるんだよね...」と軽く考えていた。...が痛みも強くなり、整形外科を受診。早い段階で病名も告知され、大学病院へ入院。4月に入り、翌年1月まで...9ヶ月に及ぶ長い日々が始まった。
 息子たちは、大学生と高校生。家に残った3人はなるべくいつもどおりの生活を...という思いと、二男のお弁当作りの日常も幸いしてか夫不在を意識させない暮らしを心がけた。片足切断の選択肢もあった中、主治医は退院後の生活の質を優先し足を残す決断をされたことは、今もって感謝の念がたえない。長い入院中、片道20キロの運転、ほぼ一日も欠かすことなく通った。決して運転が得意ではない私が、その間違反や事故もなく、無事に9ヶ月間通えたことは神様に感謝あるのみ。その後、実は違反や事故を経験するのだが、精神的にも落ち着かなかったあの時期夫のこと以外の心配事は避けたかった。
 7~8時間に及んだ手術、70数針の傷跡。車椅子→松葉杖→杖の段階を経て、職場復帰は自力で歩いて行った。この回復ぶりには、主治医も驚くばかりだった。ここに至るまでには夫の強い意志と、筋力トレーニングがあったことは言うまでもない。
 入院中看護師さんに「リハビリ室がずうっと開いてたらKさんは一日中いるね」とあきれられる程の熱心さだった。頑張り過ぎて足が熱を持ち、リハビリ禁止となったことも。ガンに負けないメンタルの強さと、筋力トレーニングによって勝ち得た復活だったと思っている。そうして...平和に暮らした3年後、事故は突然やってきた。
 社会人になって間もない長男からの電話。階段で転倒した際に手をつき、手首を複雑骨折した...と。ボルトでの固定だけではなく他の部位(腰)から自骨で補う手術とのこと。術後激痛の為ベッドを揺らす程の姿にかつての夫の姿が重なり、胸がしめつけられた。退院後、長いリハビリが始まった。
 仕事に行けないため職場の寮を出て、自宅からの通院となった。完治して元の仕事に戻れるのだろうか...と不安ばかりがつのった。夫の時と同じく、何の手助けもできないことが申し訳なく...もどかしい日々。
 リハビリと彼の若さに望みをかけ、全てを託す心境だった。時は過ぎ、長男は復帰し、辛い日々を忘れかけた頃、二男からの電話で衝撃の事実を知らされた。友人たちと作った草野球チームの試合中、右腕を骨折した...と。
 三度襲った〔骨〕の悲劇に、言葉を失った。夫に始まり、長男→二男と...この負の連鎖はなんとしてもここで止めなくては!とお祓いでも行くべきか、本気で考えた。
 二男の骨折は外的な要因や事故ではなく、ボールを投げた時の一瞬の強い力により自分で自分の骨を折ったというもの。
 説明を受けても、理解に苦しむ信じがたいものだった。しかもポキッと折れた骨折より青竹がしなるような折れ方の為、時間がかかる...と。
 夫の病気はともかくも、息子たちの骨折は私にも責任があるのでは...と当時は思い悩んでいた。台所を預かる母親としては、栄養面特にカルシウム不足だったのだろうか...と。しかし健康オタクを自負する私、食事には相当気をつかっていた。結果がコレ...!とは納得できないものがあった。
 しかし、今の私ならわかることがある。
 カーブスに入会して15年になろうとする私。どんなに食べようと、どんなに若い身体であろうと...やはり筋肉の存在は大きいのだ。私の息子たちは、子どもの頃から運動は苦手。特に二男は、当日の試合には参加したが日頃は練習にも行っていなかった。チームにはユニフォームに魅せられノリで入ったらしいと後々判明した。
 152センチ48キロの私が、男3人の看護に明け暮れ奔走し、それでも倒れることもなく現在68歳にして家族の誰よりもパワフルなのは周知の事実。だが、カーブスに通う15年間には私の身にもひととおりの痛みや不調は訪れた。五十肩、神経痛、変形性膝関節症などなど。しかし、カーブスに通いながら、痛みとつき合いながら、なんとか無事に過ごせていることを考えると筋力トレーニング→筋肉のおかげと納得がいく。
 今では息子たちにはお嫁さんがいてくれる。もう私の出る幕はない。安心していられる。...が現在73歳の夫は年相応の老化に加え24年前の大手術の後遺症というか...足に入れた人工物の劣化が甚だしい。痛みがひどく歩行も杖無しでは危ない状況となった。
 これから先、この痛みと不自由さとの闘いは決してたやすいものではないだろう。
 再手術は不可能と言われているだけに、この現実を受け入れるしかないのだ。
 生命ある限り、懸命に生きていかなくては。10年前には二度目のガンが発覚して手術したが、淡々と粛々と向き合い...今日がある。体調をみながらではあるが、日々トレーニングに励んでいる。痛む足に負担をかけないように、自己流ではあるが、「筋肉を落としてはいけない」と鍛えている。
 そして...私は...
 将来夫を支える立場となり、その日がいつやってきたとしても臆することなく役に立てるよう、パワーONモードでいたい。
 それは私がカーブスに通うモチベーションになっているし、必ず役に立つ日がくると思う。
 病気知らずの健康な身体を与えてくれた両親へはもちろんのこと、私が存在する意味も考えさせてくれた家族にも感謝している。
 運動経験も筋力もゼロに等しかった私に、運動する機会と意義を提供してくれたカーブスにも感謝。
 いろいろあった人生。カーブスに通った15年という歳月は、私の自信につながっている。