私は、結婚してからも仕事を続けたのですが、義母なくしてカーブスを継続することはできなかったと思っています。
 
 嫁としては、仕事が終わればすぐに家に帰って、主婦に切り替える。それがベストであることはわかっていました。
 50代の時の人間ドックで、動脈硬化が進んでいると言われ、気になっていました。
 
 若い頃からの肩こりもひどくなり悩んでいた頃に、職場が、現場から事務的な勤務場所に出向になりました。丁度その頃タイミング良く、家の近くにカーブスができました。
 現場勤務の時は、とても19時前にカーブスに行くことはできなかったのですが、出向先は、遅くとも5時30分には帰ることができたので通うことに決めました。
 
 早く帰って姑を楽にさせることを考えなかったわけではないのですが、もともと楽観的な私は、私が健康でいることは家庭円満の秘訣と心得、仕事帰りに週3回通うようになりました。
 今は家から運動のできる服装でカーブスに行っているのですが、その頃は義母に気付かれないようにと、車の中に常に着替えを入れていました。
 終わったあとも着替えて、仕事帰りのごとく、家に帰っていたものでした。
 
 週3回通うのがルーティンになって、体も大分楽になりました。
 以前は、ひどいときには家に帰るやいなや、主人に肩を揉んでもらわないと夕食の支度もできないほど辛いこともありましたが、そのようなこともなくなり、気分転換をして、家に帰ることができたので、疲れを家に持ち込むこともなくなりました。
 やはり運動は身も心もリフレッシュ出来るのですね。まさに、カーブスは私のオアシスでした。
 
 60歳になり、退職した後も、嘱託で数年働いたのですが、相変わらず義母に内緒で通い続けました。
 6年前に義母はなくなったのですが、結局ずっと言わずに通してしまいました。
 
 今思うと、退職した頃に義母に事実を話し、義母も一緒にカーブスに通えば良かったかなと思っています。
 そうすれば、あと数年、100歳超えまでは生きられたかもしれないと思いました。
 
 私自身は母を3歳でなくしているので、親子でカーブスに来ている方々を見ると、ほほえましくもうらやましくも感じます。
 私が退職後、嘱託で仕事を始めたときに、義母が「ありがとう、主婦は2人いらないからね。」といったその言葉に救われ、また甘えて、だまし通したような気がします。
 
 カーブスのコーチにも、このことは話していたので、ときどき、声をかけていただき、「まだ気付かれないの」と言われたのも良い思い出になっています。