「又カーブスから掛かってた」携帯の着信履歴を見て思う。「来れてないけど元気?頑張って来れる時を見つけて来てね」。コーチ達の笑顔が浮かびます。明日こそと思いながら、今日も駄目だったでカレンダーが過ぎて行く。
コロナで辞めた友だち。違う店舗に行った彼女。私は元々不真面目で不規則な通所だったのが、彼女達に会う為に決まった時間に通いだしました。そこへコロナで、パート先の保育園と放課後等デイサービスの関係も有り、行き辛く又なまくらも出ています。
 このパートですが、私が若い時に志した物が、還暦過ぎた歳になって、始めて実現しているのです。幼い頃から周りと違う自分に悩み、他にもそんな人が少く無いと気付いていました。進学の時志望を聞かれて、発達心理学と病理心理学を学びたい、と答えました。実習先で行った保育園で、「貴方は子どもを一瞬に惹き付ける力がある。でもそれは現場で邪魔になる」と言われたのです。やりたい仕事で邪魔とは...と、ショックでした。結局、卒業後全く別の職業に付き、寿退社で専業主婦に。その後もパートはしても、時間をお金に変えるだけの物ばかりで、昔の志しは埋れていました。
 私は生来の障がいと家庭環境・事情、加えて更年期も有ってか、50歳手前で発病入院して、今も心療内科に通っています。退院後、家へ戻ると又入院になるからと、家を出て大阪に帰り、双極性障害と戦う中、前に広告で見て気になっていたカーブスに友人の紹介で入会する事になりました。鬱に入ると通うのもままならず、そんな時に励みになるのが冒頭の電話です。躁を発散する場所としてカーブスワークは最適です。他所でこれをやると変な危険な人にされる事がある程度許して貰える(勝手な認識ですが)。
 そんな中、自転車で走る途中に、障害児者のガイドヘルパーと放課後等デイサービスの求人のポスターが目に止まったのです。以前の私なら、私なんてダメと諦めたと思います。でもその時の私は、ドアを開けて事務所まで登りました。カーブスワークは身体の筋肉ばかりでなく、心の靱やかな筋肉も蓄えてくれた様です。学生時代に思い描いた職場で、私は大満足でした。でも悲しいかな、私が「やらかし」で支障を来たす事も有り、学生や研修員の入るシフトへ入り込むには限りが有り、生活費不足分を補うダブルワークを探す事にしました。もう、時間をお金に変える仕事では飽き足らなくなった私は、職安を訪ねました。そこで保育講座を見つけ申込もうとすると、資格が有るなら受けないで良いと言われました。何十年も使った事の無い資格証等役に立たない、と、受講しました。終了後に紹介して貰ったのが、今行く保育園です。可愛い子ども達に会いに行くのが楽しみです。入ってみて、昔、邪魔になると言われた意味が解った気がします。幼年期なりたかった子供番組のおねえさんでは無いのだから、保育の現場でそのオーラはアカン、と言われたのだと。延長保育の数時間を飽きさせない様に見守るのは、ぴったりなのかもしれません。
入院中や退院後、自分が嫌で「なりたい自分になる」的な本を読みあさっていました。今は、なりたい自分を描くのでは無く、今日が最高でそれを更新していく事を目指しています。ダメな一日も明日への活力を養えた最高の一日と思います。
 ほとんど行けずに会費が勿体ない、と言われても辞めないのは、いつでも帰る事の出来る場所として留めて置きたい。今辞めている人が戻って来た時に、お帰りなさいと言える人でありたい。カーブスファミリーの一員であり続けていたいと実感できるからです。