二〇二五年九月二十四日、姉が七十六才でこの世を去りました。病名は悪性リンパ腫でした。
私は、三人姉妹の末っ子です。三つ上に次女の姉、その三つ上に長女の姉がいました。亡くなったのは長女の姉です。三人姉妹として仲良く育ったのは、幼い頃に父を亡くし、母が苦労して私達を必死で育ててくれた歳月を、子供なりに見てきたからだと思います。母を悲しませたくないとそれぞれが感じていた様に思います。
母は、十九才で親の勧めで結婚し、二十才、二十三才、二十六才で三人の女児を出産しています。私が産まれた時、我が家は両親とその上の両親、又その上の両親と三夫婦が一緒に住む大家族の九人目として産声をあげました。親族との別れは年の順番にはいかず、私が小学三年生の時に父は三十七才で亡くなりました。病死でした。
母は父の亡くなった前年に実の母親を亡くしていた事もあり、その当時母が一時的に錯乱していた記憶があります。そんな母にとって中三になっていた長女は責任感も強く成績も優秀でしっかり者の姉はずっと母に寄り添って、家を継ぐという形で結婚し母親と暮らしてくれました。
母は二〇二三年四月に九十四才で亡くなりました。老衰でした。認知の症状はなく、家での生活をずっと希望しましたが、老々介護で疲れている長女の姉をかわいそうに思い、気の進まないまま施設に入所しましたが、三ヶ月で命をひきとりました。
私は六十才をメドに残りの人生の中で何か続けられるものを始めたいと考えていた時に、カーブスに出会いました。私はこれはいいと長女の姉に勧め、長女の姉は次女の姉を誘い、気がついたら三人の共通の話題になっていました。もちろん、三人三様で、家庭の事情もありましたから、時にはお休みをしなければいけない時期もありました。ただ共通の健康に対する意識を日常体験しているので、お互いの励ましは大きな力になっていたと思います。
私はカーブスに通って二年くらいした時、思わぬ転倒事故で大腿骨骨折で入院、手術を体験しています。又、変形性膝関節症の手術もしています。思わぬアクシデントで気持ちのめいりそうな時、主治医の整形外科の医師から「カーブスはすばらしいからぜひ続けたらよい」といつも励ましてもらいました。年を重ねる中、いつまでも健康を維持できる方はおられます。でも突然何か体調をくずした時、その後にいかに回復していくか?というのは大きな課題になるかとも思うのです。大腿骨、膝という手術を経験したから余計に「歩ける」事のすばらしさ、大切さを学んだ様に思います。
三姉妹にとってカーブスは日常生活の一部になっていて、どうしても具合の悪い時は休んでもやはり時間の経過と共に「カーブス行かなきゃ!!」と、ふるい立たせてくれる応援者でもありました。
昨年の三月、長女の姉が不調を訴え、大きな病院で精密検査を受けました。脳に白い影があるということでしたが、はっきりとした病名がつくのに時間を要しました。四月に入院しましたが、一度も回復することなく、七月に「悪性リンパ腫」が見つかった時点では会話も出来なくなっていました。面会に行っても強い薬の副作用で昼夜逆転で眠ったままの状態が続きました。それでも妹達は毎週姉の顔を見に行きました。あまりにもあっけない別れは突然にやって来ました。
長女の姉にとってこの十年間は、次男、夫、母と三人を見送り自分の命をも失った訳です。一番自分の身のまわりにいる大切な家族に関わり世話をしながら頑張って生きた中で、カーブスは姉を支えてくれていたのだと感じました。母の介護に専念する為に仕事を辞めてからは、時間を見つけては、御朱印巡りにも行っていました。読書が好きで沢山の知識を持っていました。私が若手だった推理小説のおもしろさも教えてくれました。長女と次女はカーブスの同じクラブに通っていましたが私は別の所なので、特に母が亡くなって一人暮らしは寂しいというのでメールでのやりとりをしていました。今、私の携帯の中に約350通の姉のメールが残っています。こんな形で思い出残すなんて...。メールの中には母を見送って初めて三人で一泊で草津温泉に行った時の内容もありました。ほぼ毎日の様なメールには姉の生きた証が残っています。
カーブス20周年の冊子の代表取締役会長様の文章の中に「毎日、前向きな気持ちで人生を楽しめている」が一位だったと書かれていました。改めて亡くなった姉も、私が明るく元気にカーブス通う事を望んでくれているのだろうな!!と考える様になりました。「背中に背負ってあげるよ」そう口にすればニコッと笑ってくれる姉が浮かびます。毎日何が起きるかわからない人生だからこそ姉妹に生まれた縁、カーブスに出会った縁を大切にしたいと思っています。
姉が亡くなって半年過ぎた今、次女の姉がこんな話をしました。「今でもカーブスの扉があいて、ぽっと見た時姉に感じが似た人が入って来られると姉が来たのかなと思う事がよくある」と。私も駅を歩いていたら前から姉と似た感じの人を見つけ一瞬びっくりした記憶があります。
無理に忘れようとするよりも、楽しかった思い出を大切にし、共に生きて来た時間をしっかりかみしめて、次のステップに進みます。亡き姉と共にカーブスに通う決心を今しました。