この一年、六十才を目前とし、全く変らぬ日々。睡眠時間は三時間。就寝時間、起床時間は変わらない(起床四時半、就寝時間は深夜一時半から二時)。早朝六時から九時までの仕事をし、帰宅後はひと休みをし、カーブスへ。カーブスの帰り道に買物をし、家族の喜ぶ顔を思い浮かべながら夕食の準備。夕方は孫達の保育園のお迎え。孫達の子守りをしながら夕食を作る。家族みんなで夕食。夕食後やっと腰を下ろして一時間ほど孫と遊ぶ。夜九時、お風呂に入り、夕食の片づけをしつつ明日の朝食の用意。だいたい午後十一時から十二時にやっと私の一日がやっと終わる。
自分の部屋に行きベッドに腰かけると急に眠くなって座ったまま寝てる時もある。首が痛いな、体が痛いなと思って目が覚める。想像もつかない体勢で寝ていることも多々ある。いつも一時間ほど、うたた寝してしまう。起きてられないのだ。これが私の一日だ。
低カリウム血症の治療は継続中。
 昨年四月。息子の風邪がうつった。こんな生活をしているのに、ここ十年以上、風邪をひいたことはなかったのに・・・こじらせて肺炎になってしまい寝込んでしまった。咳が止まらず熱も出た。仕事も休んだ。咳は一ヶ月ほど残り、食欲も落ちた。体重も体力も落ちた。脚の筋肉も落ち、足が前に進まない。十五分の通勤時間が二十分になり息切れがした。仕事をしていても息苦しいのが続いた。
今まであっという間に時間が過ぎていた三時間の仕事も長く長く感じ、体力が落ちたのを実感した。カーブスへ行くのも辛かった。
このまま寝込んでしまうのではないか、と思ってしまうほどだった。部屋で横になっている私の所に、四才と二才の孫が「ばぁば大丈夫?」と言って様子を見に来てくれた。「ばぁば、一緒に遊ぼう」と言ってくれた。そんな言葉が私をカーブスへ向かわせてくれた。
可愛い孫達と遊びたい、旅行に行きたい、孫の成長を見続けたい、まだまだやりたい事はたくさんある。最初は、一台のマシンを動かすのもやっと。一周するのもやっと。そんな私をコーチ達は励まし続け、サポートしてくれた。肺の影が消えるのに一ヶ月ほどかかったが、孫達とコーチ達の支えもあり乗り越えられた。
その後、股関節が痛く歩くのがやっとになった。整形外科へ受診したら、臼蓋形成不全と診断された。若いうちは痛みが出ずに持ち堪えられていたのが、年令を重ねて痛みが出ることがあるそうだ。痛み止めの飲み薬とシップでの治療。以前、持病の腰椎すべり症の痛みで、足をつくことさえできない時、筋トレで少しずつ動かし続けることで痛みを和らげたことを思い出し、今回もカーブスに通った。絶対に治る、そう信じて通った。やはり、足を開いたり歩くと痛かったのが、一ヶ月ほどしたら痛みがなくなった。信じて諦めずに通って本当に良かった。
 また、慢性腎炎と診断された。二十年ほど前から、ストレスから尿の出が悪く、むくんでしまうことがあり、治療したこともあった。
現在、低カリウム血症の診察時に、定期的に血液と尿の検査をしているが、eGFRが軽度G3ステージである。むくみ、動悸、息切れ、貧血などの症状が出る。カリウムの薬で症状を安定させているのが現状だ。忙しい毎日を薬を飲んで乗り切っている。
 そんな中、この一年は、御近所の方・知人・私の大切な人がたくさん旅立った。長男のお嫁さんのお父様が、三年の舌ガン闘病生活の末、昨年七月に亡くなった。体が大きく筋トレが大好きで、ジムに通い体を鍛え、元気いっぱいの人だった。卵、納豆、鶏肉、プロテイン・・・と食事に気をつかっていた。
私と筋トレの話で盛り上がることも多々あった。辛い抗ガン治療も乗り切り、車の修理会社を起業した。また、代々農家でもあり、お米も作り頑張っていた矢先、再発した。最期は大きな体も半分ほどに痩せ細った。最後にお別れした時、その姿を見て「病気には勝てないのだ」と思わされた。
 今年一月。カーブスで親しくなったMさんが六十二才で亡くなった。
四年前のこと。私は、うつ病と不安障害の症状が良くなったと言えども、まだまだ大勢の中に入るのが恐く、混んでいる時間帯にはカーブスへ行くことができなかった。行ったとしても、誰と話すわけでもなかった。また、家事も忙しく心も体もくたくたで、笑うこともできない。泣きはらした目でいくこともあった。そんな私に、Mさんは声をかけてくれたのだ。元気のない私を気遣ってくれた。優しいMさんに私は泣いてしまった。うれしかった。
それ以来、ちょうど孫の年令が近いこともあり、孫の話をよくするようになり、家族ぐるみで親しくなった。昨年夏には、Mさんは、東京にいる娘さんに二人目の子が生まれると楽しみにしていた。しかし、その頃から、ほぼ毎日カーブスに通っていたMさんの姿が見えなくなった。東京にいって、娘さんの育児の手伝いをしているのかな、と思っていた。
そしたら、今年の一月二十日、Mさんからのラインの通知が久しぶりにあった。私は、うれしい気持ちでラインを開いた。しかし、旦那様からだった。Mさんが、一月十九日二十三時頃、静かに旅立った、との連絡。時が止まった。うれしい気持ちで開いたラインが、一瞬で真逆に。事実が受け入れられず、信じられずにいた。何度かその文を読み直しているうちに、涙があふれ出た。最後のお別れに行こうか迷った。なぜなら、Mさんが亡くなったことが信じられなく、また、信じたくない私がいたからだ。しかし、ちゃんとお別れをしないと、きっと後悔するだろうと思い、お通夜へ参列した。会場のMさんの写真は、いつもカーブスで筋トレをしている時の笑顔だった。今にも「薫さん!」と声をかけてくるようだった。ただただ涙が出るだけだった。すい臓ガンだったそうだ。棺の中のMさんは痩せ細り別人のようだった。しかし、静かに眠るMさんは、柔らかな表情だった。
Mさんとのお別れの数日後、私はいつものようにカーブスへ行った。Mさんからプレゼントしてもらったお揃いの靴下を履いてワークアウトへ。マシンを動かし始めたけど、目の前にMさんがマシンを動かしているようで涙があふれてしまった。カーブスが大好きだったMさん。きっと、筋トレに来たのだろう。悲しみに暮れていた私だったが、その頃から腰の痛み、足上がりが悪く歩くのが辛かったのがなくなったのだ。筋トレをしていたからだけではないように感じた。あまりにも急に調子が良くなったので、きっと、Mさんが私の体の痛みを一緒に持って行ってくれたのだろう、と思った。「泣かないで」そう言われたように感じた。
筋トレをしていても勝てない病気もある。しかし、筋トレをしていなければ、時間に追われる私は、今のように動いていられないだろう。計測時に、「筋トレをしていて良かったことは?」と聞かれるが、「現状維持」といつも答える。朝起きて、仕事に行け、普通に一日を過し、夜、布団に入って寝れることが一番の幸せだと思う。これからも、無理せず、感謝の気持ちを忘れずに生きていこう。