ここカーブスイオン熊谷店が開所から今年の十一月で十九年になる。開所日の十一月六日は奇しくも、亡き夫との結婚記念日であった。当時、実母を突然亡くし、それは予想外の主人との別れと同じで心がまったくシャンとしない。主人に逝かれて十六年経っていたが、母がどの位心の支えになってくれていたかは計り知れない。三人いる子供達は学業を終え家庭を持った。少し生活にもゆったりと話せる母子の時間が出来て、母の故郷である北海道へ行こうかなどと、ツアーガイドを開いては話していた。二時間前迄しゃべって明日はデイサービスに通い始めた母を送り出すのに朝又来るねと約束して帰って来た。
弟からの電話であった。「姉さん!母さんがヘン......」何ヘンって?今別れて帰ってきて二時間きり経ってないよ?すぐ行くネ。息のない母、末の弟と暮していた。夕食を済ませ、明日のステーション行きが楽しみでお風呂に早目に入って寝るねなどと話していたという。お風呂の様子があまり静かなので心配した弟が、洗場にうずくまる母を見た!
枕元に明日着て行くとお気に入りの藤の色のアンサンブルのセーターが畳まれていた。
色の白い母の誕生日に私がプレゼントしたのを大切に身に着けて喜んでいた。八十七才の母が、あと十三年もすると、私百才になるよと言うのを誰でも疑うことなく、絶対百才を元気で迎えるのを当り前と思っていたので青天の霹靂ってあるんだ~と私も弟妹もただただ驚いた。冬の最中、寒い日であった。静かな野辺の送りであった。が私はここで誰もが肉親の別れの悲しさに出会う一部始終を綴るつもりはない。ただ母が旅立つ迄に、私にいつも口うるさい程云っていた言葉がある。
母はすっかり年を重ねたこの私にいつもいつもこう言った、「元気な体をお前にあげたのよ、おハネのおタカさんにお戻り!」って。
オハネとは御転婆ということで、とにかく元気な私がひっそりと生きている様子が可哀想だったのだ。自分では少し人に教えられる事もあって平凡でも充実の毎日と思っていた。
母の目に元気なだけの私に何かが欠けているのを親として感じていたのだろう。そう自分の為に何かおやりの叱咤激励だった。
町にカーブスが始まった。女性だけのスポーツトレーニングジム。三十分のカリキュラム、散歩の途中で、お買物の折に、時間の予約もなく、朝の開始時間から終了時間の中の三十分いつでもトレーニング出来るシステムに、なんだか雲をつかむようで、と開所から九カ月後に入会。カーブス会員として歩き出し、十七年を過ぎた。私の歩みも時として思いもかけない事故や体の不調でお休みせざるを得ない時期もあって、同期の人が十八年に到達の話もチラチラ。
そんな仲間の中にHさんが居た。まったくスポーツには縁遠いスラリとした細身の奥さま、学生時代も絵を描いたりクラシックバレーはやっていたけどと私がほとんどまっ黒な顔で校庭を走りまわっていたとはケタ違いの時を過したらしい。だから、結婚の話が決まった時の条件が、「毎日ごはんいっぱい食べられる?」、「お腹いっぱい食べさせます!」と、それで結婚したと笑わせた。数年してご主人の転勤でHさんはカーブスを退会。
人生にはそれぞれに機微がある。Hさんが愛するご主人に先立たれこちらに戻ってきているという。私より六・七才の年の差。どうしているかしらと電話する。もとより彼女は私の後輩の親友の妹さんという間柄、学校も同じ、お子さんも二人いて結婚し、今彼女は一人暮し、案の定、飛び上がらんばかりの懐かしさと喜びようが目に浮ぶ。だが、何故かヘン......
カーブスを辞めてからの数年、ご主人との素晴らしい楽しい生活、海外での生活、そのどれの話にも彼女が家計を担うという話が一切出てこない。まったくそちらへはタッチしないで、何か買ったり計画したりするのに、予算の話もあるでしょうと聞くと、そうネエ~でも、「パパ、お願い!」って言うだけで生活してきたという。なんと結構ずくめ、いつもピリピリと計算づくめの生活の私とは段違い。
でもね、計画は私も考えたのよというけれど、そんな温床の中の彼女がご主人との別れを知る。一生困らないだけの貯えと家屋敷。
が、電話の中の声が泣いていた。アタシね眼が駄目なのよという。どうして?あんなにも可愛い目をしていたのにと聞く。あのねと話しだした理由(ワケ)。
年を重ねれば、おおむねの人が患う白内障の診断を受けて、近くの眼科医からの紹介で、白内障では権威の病院で手術を受けた。両眼を受けたが、数日経っても左眼がボンヤリと視力が無い。医師に聞く。ハッキリしない。大学病院へ行く。診断。白内障の手術の際に、そのうしろに緑内障なるものがあったこと、大学での診察の際にはもうほとんど手のつくしようが無いと知る。Hさんの心のうちはどうだろう。Hさんは左目の視力を失った。なんとも言えない!慰めの言葉?いやいやそんなものがどれ程の効があるのか、私は言葉を失った。幸せいっぱいに愛され、苦労なんて何もない筈のHさんのあれからの十年間。
静かにすすり泣いていたHさん、私は聞く、「体は相変らず細いんでしょう?きちんと食べてるの」と、するとアハハと軽く笑う声で、猫ちゃんがいるから餌の心配もあるし、庭の土いじりも時々するの。陽に当らないとカビ生えるし、お風呂も大丈夫よという。
オオ、少しは自分で動けるんだ。よかった。それに自転車も乗れるのよ、少しだけどネという。そうだよ、自分でなるべく出来ることはするべき。そして私は試練を承知で誘った。カーブスへ戻っていらっしゃい!
生来の御節介、生来の人好き。ここ熊谷では六百人近いメンバーだ。その中の一人としてHさんを迎えたい。ゲッソリと筋肉なんてほど遠い体、でもね、自分の体も心もみんな自分持ち。体が変わると気持も変るよ。Hさんが知っている四十万の会員数が今ではその倍以上になっているんだよ。それに会員の誰もが健康第一と考えているけど、そのもっと先のこと、毎日の生活を前向きに楽しめているという事が誰も感じている。なんて素晴しいこと。Hさん、懸念することないよ、あなたも元はメンバーさん。素晴らしいコーチの方がきっとあなたに合っているアドバイスすると思うよ、ボードで少しづつ足踏みから初めてみて!体に力がつけば食欲も出るしガヤガヤは生きる力だよ!戻っておいで!電話の向こうで、「行きます!」よかった!
私の誘いから五日目、もう機械からストレッチに移っているHさん、Nコーチがやさしく肩に手をかけている。私の声に、「ただいまです!」と明るい声。でもまっ黒な眼鏡、小さくコケティッシュの顔と細い身体に妙にそれが似合ってる。私とハイタッチする。
「お帰りなさい!Hさん」