如月です。七十八才の誕生日がやってきました。隣家の蝋梅の香りが漂い心地良い春の訪れを感じさせる。昨年の四月より娘夫婦、孫二人の三世代同居が始まった。小学三年生と一年生の男の子達。転居前は片道一時間程度の距離に住んでいたが私達夫婦が高齢となり同居の案を出した時に娘婿が快諾してくれたので良かった。次男が一年生となるのでチャンス到来。風呂とキッチンは共同だが若い世代の生活リズムと老夫婦の時間配分は違っているので何んとかやっていける。食事は一諸にしない。必要以上の干渉はしない。経済的な割り当てとかを最初に取り決めた。後になってこんなはずではなかったと思わない事。これも同居の心得。昔より女二人が家に居るとどうしても摩擦が起きてしまうと言われているが多少のズレは致し方ない。
 夏には近くの川辺での水遊び秋になり孫二人と主人と魚釣りに出かけた。私達の幼少期頃の遊びと言えば男の子は野山をかけめぐったり、川遊び。女の子はお人形さんやままごとが定番。主人が竹竿を手作りし一〇〇均で釣り糸とエサを調達した。長男曰く、ゲームの魚釣りはエサをやらなくても釣れるとのこと。今どきの子供の世界だ。長男が七センチ位のメダカより明らかに大きいのを釣り上げた。名前を魚図鑑で調べてみたが不明だった。二、三十分程経過した頃もう帰ろうと声をかけた頃にひっかかった。「あのね、ばあば釣りをする時には何んにも考えたらあかん、集中せな」と大人顔負けの事を言う。
十二月頃まで主人が朝夕に水を替え近くの川で藻を採取して入れ世話をしたが寒さに耐えられなかったのが全滅した。庭の片隅に埋めて孫達が小さな三角の石を立て墓らしくして手を合わせた。一〇五才でこの世を去った日野原重明先生が書かれた本の中で命の大切さを訴っている言葉が多くあり感動した。死は命の終わりではない。これをどういう考え方で受け取るか個人によってはさまざまだろう。一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままでだが死ねば多くの実を結ぶ。肉体は亡くなっても魂が誰かに受け継がれると信じたい。
 十才の君達へと全国の学校をまわり命の尊さを子供達に伝えてきたそうです。十才と言えば小学四年生に相当する。我が家の孫達も十才を迎えた頃にはその意味が判ってくれるだろう。いじめの根絶、これにも命の大切さが関ってくると思う。人の命を粗末に扱う行為だからだ。人に傷を与えた事は忘れるがその反対の行為をされた時には忘れない。人を恕(ゆるす)せない人間の愚かさの為と言われる。恕という漢字、仲々読みづらいが許す、赦すとかいろんな語源がある事を知ったが恕の字から想像すると心からの気持ちを表わしていると感じられる。恕しは他を信じて耐えて待つ愛の心。恕せない心を持ち続けるのはしんどい。だから「ゆるす」ことで私達は楽になれる。
瀬戸内寂聴さんも長寿を全うされ心に響く言葉を遺されている。得度されてまもない頃茶道の講演会でお顔を拝見した事がある。若い時に聞いた話の内容はとんと覚えていないが茶道の心に降れた話だと思う。波乱に満ちた人生を送った人だったから批判的な考えを持つ人もいるだろう。得度されてから執筆活動は衰えを知らず沢山の本を書かれた。愛に始まり愛に終わる。愛ってなんだろう。他人に対して愛を与えているだろうかと考えさせられる。自分のありのままの姿を愛(いと)おしく思える様にならなければならない。自分を大事にすれば自から相手にもやさしくなれるのかもしれない。仲々こういう心境に到達しないが常に自分自身の手で心をやわらかい状態にする出来そうな気がする。女性が本気で仕事をやり抜いていくとき、そこに生きる苦しみと愛の懊悩(おうのう)が生じる。だがそれを乗り越えてこそ本当の生きる喜びが生じる。   
 痛ましい事件が新聞紙上を騒がせている。大阪のクリニックの放火事件、埼玉の立てこもりで亡くなられたお医者さん。前者の方はいろんな心の悩みを抱えた人達の相談を受け今の生きにくい社会に再出発をしようと懸命に生きて行こうとしている人達の支えを無残にも奪ってしまった。後者の方も地域医療を担ってこれからの高齢化社会をチームを組んで理学療法士さんや医療相談員の力を摘み取ろうとした。三十時間経った母親の蘇生を断わられたとの顚末。親を安らかに看取ってやる事が子供の務めだと思うのだがどちらの事件も相手を殺し自分も死のうと思ったと報道している。巻き添えを必要としないでどうぞ独りで黄泉の国へ旅立って下さい。
主人が川柳に応募して熟年部門で金賞に入り図書券(三千円)と新米三〇キロをゲットした。「老夫婦 あれそれこれの 会話だけ」まさしくこの通りの日常生活だったが三世代同居となり孫達の話題で脳トレが出来る。図書券はたちまち娘の手許に流れた。漫画が好きだから買うとの事。主人が渋い顔をしたが私はそうは思わない。少女時代漫画の世界は楽しかった。今は老眼鏡の世話だから細かい字が無理なのでお手上げだ。残りで子供達の図鑑も買えると喜んでいた。興味のある事を私達にいろいろと重い本から説明してくれるのもほほえましい。
 三時からのカーブスに行こうと思い玄関を出た時一年生の孫が帰ってきた。「お帰り」「ただいま」のあいさつを交わし「ばあばこれからカーブスに行ってくるね」と言うと「いってきてね。身体をやわらかくね。身体が硬いと病気になり易いからばあばがいつ迄も丈夫でおって欲しい」やんちゃ盛りで手こずる時もあるがこんな言葉にホロリとさせられる。主人や娘は照れ臭いからだろう無理だ。期待もしていないけれど。カーブスに行きいろんな人とコロナ禍で余り話が出来ないけれど老親の介護をされ自宅で看取られた方、御主人を介護され最后に「ありがとう、良く看病してくれた」と感謝の言葉を残されたそうだ。  
別の方は娘さんが医療関係の責任の重い仕事に就いておられ三人の孫さん達(同居ではないが)面倒を引き受けている方と皆さん置かれた立場で頑張っておられる。あるがままを受け入れそこで自分にとっての花を咲かそう。二月の計測で仲々減らなかった体脂肪が微々たる数字だが減り筋肉量が増え体年齢が六十四才をキープした。体は確実に衰えを感じるが心の若さをいつ迄も持ち続けたい。今年の誕生日に娘からは濃厚な味のチョコレート、主人からは毎年ランチに行っているが今回はコロナが恐くてスーパーのお惣菜に変った。孫二人揃って「ばあば、お誕生日おめでとう」と満面の笑顔で祝福してくれた。
 この年齢になるとおめでたくもなくぞっとするだけの日だが孫達の素直な気持ちから「そうだここ迄生かされているのはおめでたい事なのだと気持ちを切り替える事が出来た。これからの一年を家族揃って健やかに、和やかに過ごし年を重ねてゆきたい。カーブス頑張ろう!!