『人生には三つの坂が有る。一つ目は上り坂、二つ目は下り坂、そして三つ目が、まさかという坂』そんな言葉を先輩からだったか、結婚式のスピーチだったか覚えてないが、その時は他人事のように聞き流していたが、そのまさかの坂は、本当にあった。
 
 ◆青天の霹靂
 忘れもしない2020の大晦日の昼下がり。離れて住む息子家族が久しぶりに帰ってきており、慌ただしくも楽しい時間にウキウキ・ワクワクしていた。
 「年とりのご馳走は何にしよう」とか、「お餅の準備もしなきゃ」とか、「玄関飾りはまだだった」とか、あれもこれもと頭の中は、正月の準備で気が急いていたのだろう。
 
 二階のロフトのはしご階段から両手に物を持ったまま落下したのだ。その瞬間、頭を過ったのは、頭をぶっては大変なことになる、ならばお尻から転べばお尻の肉がクッションになるだろうということ。
 しかし、そんな冷静にスローモーションで落ちたわけではなくあっという間もなくドッシーン、ドッテーン。
 その大きな音を聞きつけ、びっくりしてみんなが駆け付けたてきた。当の私は、その場を動けず座り込んだまま、立ち上がろうにも足が言うことを聞かない。
 
 はじめて息子に背負われて病院行となった。重くてごめんね。まさか息子におんぶして貰うとは...。情けなくてそして痛くて...・。
 まさかよりによって大晦日に病院に行くことになろうとは...。レントゲンを撮ってもらい、しばらく放置状態。次第に痛みが増してきた。やはりただ事ではないかも?不安が募りだした。
 
 年末休暇中の整形外科の医師が呼び出され、やっと到着。レントゲンを見て開口一番、「折れてますね。大腿骨骨折です。70代の女性に一番多いんですよ。全治三か月。手術しないと一生寝たきりになります。」と。
 さらに続けて「でも日が悪いですね。病院は正月休みだから手術は正月明けになりますね。」とクールに宣う。 ガーン、あの一瞬の出来事がまさかこんな大事になるとは...・。この先三ヶ月も入院するなんて...。
 
 泣きたいこと、心配なこと、相談しなきゃないこといっぱいあったけどコロナ感染予防ということで家族との対面もいっさい許されず、手際よい看護士達の手配のもと、あれよあれよという間に移動ベットに乗せられ、病院の人となった。
 
 ◆奈落の底で
 足を固定され、起き上がることも横向きになることも出来ない。もちろんトイレに行くことも出来ないのでオムツをあてがわれた。初めてのオムツ生活、尿意をもよおす度にナースコールのボタンを申し訳ない思いで遠慮がちに押し、看護士さんを待つ。
 しかし、なかなか来てくれない。早く来て...と心で叫ぶ。待ちきれなくてイライラ。この時、初めて介護を受ける身の辛さ、申し訳なさ、そして有難さを味わった。この状態が手術の日まで5日間続いた。
 
 「あけましておめでとう」の挨拶が、空しく響いていた。日中は、それでも明るい日差しに気持ちを明るく保つことが出来たが、暗やみに覆われる夜の静けさは、病人を益々不安にさせた。
 
 眠れぬ夜に考えることは、これから先、自分はどうなるのだろう。このまま歩けなくなったらという不安、もし車椅子生活になったらどこに行くにも夫からの介助に頼らなくてはならない。そうなれば夫の未来をも変えてしまうことになる。
 申し訳なさと絶望。そんなことを考える夜が、長く、長く恨めしかった。
 
 ◆手術室で...まな板の鯉ならぬまな板の丸太
 いよいよ1月5日、右大腿骨骨折による人工骨頭挿入手術が始まった。下半身に麻酔をかけられ、自分の体は、太い丸太のよう。痛みの感覚は全く無くも頭は冴えわたる。
 
 ならばこれから始まる一時間半の手術を面白がることにしようと腹を決め、手術台の横にあるモニターを見たり、器具の音を聞きながら医師の作業を想像したりしていた。
 色んな音が聞こえた。ガンガンとハンマーで打ち込んでいるような音は、人工骨を挿入しているらしい。結構な強さで丸太に楔を打ち込んでいるようだ。楔の角度、深さをモニターで確かめながら慎重に。
 最後の方に聞こえた音は、ガチッ、ガチッという連続音20回。これは傷口を縫合するホッチキスの音だった。
 
 後日、執刀医に「縫ったのは、ホッチキスで20針ですよね。」と聞いたら「20ではなく19ですよ。一つは、試しのための空うちです。」って。当たらずとも遠からず、我が頭脳も正常なり。
 
 ◆見えてきた灯り
 術後二日目から歩行訓練が始まった。まずは両脇の手すりにつかまりながらその間をゆっくり歩く。始めは、右足に重心を掛けるのが痛く、怖く、プルプル、ぐらぐら、まるで歩き始めの赤子のよう。
 
 始めの一歩から十歩歩けた時は、思わずガッツポーズ。それからは、手すりにつかまりながら、歩行器を使いながら、杖を使いながらとレベルをあげながら病室の廊下を一往復、二往復と訓練が進んだ。
 
 「この感じだとお家に帰れるのも早いかもね...。」「何か運動してたの?」
 看護士さんやリハビリの先生も回復の速さに驚いて声を掛ける。
 「はい!カーブス運動教室に週3回通っていました。」そう、私はカーブスに通って6年、入院中にゴールドカードにグレードアップしていました。
 
 コーチに骨折・入院のことを涙声で告げた時「一時休会するシステムがあるから手続きしましょう。退院したら又頑張りましょう。待ってるからね。」と励ましてくれた。嬉しかった。
 
 手術前は、太い丸太と思っていた私の足は、すっかり筋肉が落ちて今にもポッキっと折れそうな貧弱な足になっていた。これではイケない。
 私は、カーブスのコーチに言われていたことを思い出し、密かに筋肉増量作戦を立てた。
 
 ①たんぱく12点摂取。病院食は、カロリーはきちんと計算されているし乳製品も付いてくるからからまずは、残さず食べること。
 ②リハビリの時間は勿論、別途自己運動を継続すること、ラジオ体操、ストレッチ足指グーパー100回、お尻あげなどなど。
 
 かくして、三ヶ月。早春の3月半ば、予定より2週間ほど早く、久しぶりの我が家に戻ることが出来た。16段の外階段をゆっくり、ゆっくり、自分の足で上ることが出来た時には、安堵と喜びと感謝でいっぱいだった。
 「おめでとう!私」 「ありがとう!私の足」「ありがとう!みんな」
 
 ◆カーブスでリハビリ
 そして今日も私は、月12回を目指してカーブスのドアを開ける。
 「てい子さん、こんにちは~。」明るく元気なコーチの声が迎えてくれる。顔なじみのカーブスメイト達が、それぞれの目標に向かって運動している。
 
 「みなさん!まさかの坂は本当にあるんですからね!くれぐれも急(せ)くな、転ぶな、あわてるな。私の二の舞いにならないように。今日も頑張りましょう!」