レジリエンス(resilience)とは物理で物質の弾性を指す専門用語、心理学では困難な問題などを経て健やかさをとりもどすという意味で使われます。ストレスなどに遭遇しても跳ね返す力、介護生活の中で私はカーブスにそれを感じました。
 結婚して長男が6才、次男が2才の時に主人の両親、同じ敷地内に主人の伯母、伯父と8人の家族で同居を始めました。
 伯父が酸素を吸うようになってお医者様から私が毎日運動をさせるように教えて戴きました。伯父は体操を嫌がり私も嫌がるのに無理にさせなくともと思っていました。伯父はそんなに太っていないのにお腹はブヨブヨでした。あっという間に体力が無くなりお風呂に入れるのに大勢の人の力を借りて入れていました。そして誤嚥性肺炎で亡くなりました。義父も心臓が悪くて亡くなりました。近くにカーブスができ私は入会しました。
 伯母は同居した頃より足が悪く、私がその日の買物、銀行や用事をしてあげ、料理だけは椅子に座りながらしていました。
 今、考えると、かえってしてあげた事が、歩く運動を奪い逆に寝たきりを早めてしまったのかもしれません。その後カーブスで習ったサルコペニア、フレイルあの時知っていればと思いました。
 伯母が寝たきりになり私の生活はこの様になりました。
 朝5時起床、次男の朝食お弁当づくり50分に駅へ送り戻ってくると長男の朝食、駅へ送り、主人の朝食、伯母の朝食は希望通り、パン、紅茶、卵料理、果物、ごまあえ、酢の物を届け、ヘルパーさんに預けると洗濯、清掃、家の仕事の用事、11時頃 主人の昼食、伯母の昼食づくり、あと片づけ、夕方、三軒分の家の買物、次男を駅まで迎えに行き、家の夕食づくり、伯母と義母の夕食だけはお弁当にしてもらいました。
 伯母が私にどうなって欲しいか聞いてきたので一人でトイレに行ってくれたらうれしいと言ってから体操が始まりました。夕食を終えた頃伯母から電話がかかってきて体操の始まりです。寝ている状態から体を起こすのも大変で、すべてがゆっくりで時間がかかります。私が両腕で伯母のウエストを押さえ後ろに背筋を使って倒れていく運動、「これってもしかしたらアブ・バックになっているのかも」と考えると楽しくなってきます。ベッドの上でウエストを左右にひねる→オブリーク?ベッドに腰かけ足をあげる→レッグプレス?ベッドに腰かけ足をひらく閉じる、反対に私の手で押す→ヒップアブダクター?ベッドに腰かけ空のペットボトルを蹴る、私がとってくる運動もしました。「こういうのもあるよ。」とカーブスのストレッチも教えました。2時間近く毎日私の方が汗びっしょりになっていました。寝たきりになる前からお風呂に入っている時壁にむかってレッグプレスの様な事をやっていたそうです。足が駄目だからと、一人で腕の筋肉はすごく鍛えていたようです。
 11時から30分夜のヘルパーさんおむつ替えの最終です。長男が試験中勉強してくるので11時に駅へ迎えに行き急いでもどってくると20分です。10分でいいから私に居てほしいとの事、体が二つ欲しいと思いました。
 それから長男の夕食、後片づけ、自分のお風呂、寝るのは1時頃、夜中2時頃おむつを替えて欲しいと起こされる、そんな生活でした。
 一番嬉しかったのは、伯母が体操のおかげでベッドから車椅子に乗りかえ、一人でトイレの便器に座れた事です。時々来てもらった最初を知っていた義姉が目を丸くして驚き「どうやったらこんなになるの?」と言っていました。伯母の努力ですが、私も達成観を感じました。
 義母に癌がみつかり、家でみとって欲しいと言われていた伯母に頼みこんで二人とも同じ病院に入院してもらいました。2ヶ月程して、伯母、義母、一日ちがいで亡くなりました。
 介護生活の中で、97才でも筋肉は鍛えられる事を知りました。
 今、介護に携さわっている方どうかやめないで欲しい。私も伯母が寝たきりの時10日前後、入院してから3日しか行けていません。フリースのトレーナー2枚の組み合わせしか考えられなかったのに、カーブスに行くと明るいTシャツに着がえ唯一のオシャレをしている気分になるのです。コーチの元気な声、はげまし、友人になった人とのたわいない会話、すべて背中を押していてくれたのです。幸せホルモンという粉をふりかけてもらう為に通うのです。現在はおうちでカーブスがあるのでもっと回数は増やせると思います。
 いつかお教室にもどるために、今、跳ね返す力をたくわえているのだと思って下さい。