「もしもし、お母さん!ヨッちゃん(私の弟)をよろしくね」
 弟が離婚して三人の子供と別れ、二度の脳梗塞を起こし、そのあと誤嚥性肺炎を起こし、手術をして何とか命をとり留めたものの、静脈から点滴で栄養を取り、命をつないでいたのです。好きなタバコも吸えず、勿論好きな鮎釣りも出来ず、柔道三段だった脚はやせ細って歩く事も出来ず、テレビを少し見る具合で、あとは寝ているだけの可哀いそうな晩年でした。
以前、神奈川に住んでいた子供達とは連絡が取れず、(あとで戸籍を辿ると、外国や県外で生活)それでもいつかは見舞いに来てくれるのでは?と思い、私が埼玉から神奈川に介護に行く事にしました。キャリーバックに必要な物を詰めては、駅の階段を登り降りし、エスカレーターやエレベーターを使って、電車やバスを使っていました。60代の頃と違って、だんだん年を重ねると、いくら元気な私でも体がきつくなるのは仕方ないのかも知れません。
 ある時などは、弟の所から埼玉の上尾駅にやっと着いたと思ったら、私の携帯に弟から連絡が入り、「どうしたの?」と何度言っても返事がないので心配になり、救急車を呼ばうか?いやまだ様子がわからないから、とにかく弟の所に戻った方が良いのではと思い、また電車を乗り替えてバスに乗って戻って、ドンドンドアをたたいても返事がない。合鍵で入ったら奥の部屋で寝ていてホッとしましたが、いつも帰り際に「気をつけて帰ってね」と言う弟が、私が帰った頃、携帯をかけてきて、私の声を聞くと自分の携帯の電源を切るようです。私も最初はびっくりやら腹が立つやら、でも様子がわかってからは、なるようにしかならないと覚悟を決めました。
 
 話し変わって私の主人も平成11年、脳出血で倒れて入院しましたが、脳外科の院長先生の所にかつぎこまれ、運良く後遺症もなく、今88才ですが元気です。倒れた後はいろいろな健康器具を購入しては、すぐ飽きて今はズボン掛けになったり、踏み台になっています。
私がカーブスとの出会いで18年も続いているのは、マイペースに自由な日時に通う事が出来、シニアや老人にも無理のない12種の油圧式マシン(自分の力で筋トレ)、ステップボードの上でのフリーな有酸素運動、心拍数を計り、最後はストレッチをして30分でこなせるからです。
その日の気分によって運動しやすい服や靴をコーディネイトするのも楽しみです。今を楽しもうとお化粧をし、カーブスの仲間と出会っておしゃべりするのも楽しみで、ストレス発散にもなります。帰りは買物をし、有酸素運動と思って、自転車を押して歩いて帰ります。
 私がカーブスに入ったのは主人が倒れ、翌年に弟が倒れたので、私も自分の体力を維持しようと思い、64才の時にカーブスに入会しました。いや出会いました。もともと健康で膝も腰も痛くないので、初めは適当に通っていました。
それ迄、好きなアートの世界で仲間の展覧会や個展をハシゴして出歩いていましたし、自分も銀座の並木通りでの個展を最後に、アートの世界から手を引いていましたが・・・。
 丁度64才になる手前、夫が倒れた頃、ラッキーな事に、埼玉の「いきいき埼玉」で60才〜65才迄のシニア対象に、介護の勉強が出来、何ヶ月か通って二級の資格を得たのが、後々知識や実践はそれなりに役に立ちました。弟も嚥下障害で救急搬送される迄は、介護二でしたから、杖をついて何とか自分で頑張っていましたので、出来ない事は手伝ったりしました。でも点滴で自分の体が自由にならなくなってからは、一般の病院にはいられなくなり、療養型の病院に移る事になったのです。病院の車に寝ている弟の横に坐わって、釣り場が所々ある相模湖を見下ろしながら山の上の療養型の病院へと移ったのですが、それを最後に弟の所へ二度と行く事が出来なかったのです。
それは、私の体に異変が起きたからです。

 最初、目がチカチカ痛いので逆まつげかな?ぐらいでしたが、そのうち右目がゆがみ、口がゆがみ、次に耳の中が痛み、内耳をやられたのか歩くとバランスがとれなくて、バタンと倒れるので杖をしばらく使っていました。両目からは涙が出るし、口に水を含んでもポタポタ落ちて飲むことが出来ず、「一体、私の体はどうなったのか?」おまけに左足の甲の側面にプチトマトみたいなものが出来ていて、靴を履くと痛いし、破れたり手術をしても弟の所に行けないと思い、高齢ともなれば血流が悪いからだと思い、甘い味の健康食品を飲み続けていたからか?足を酷使していたからか?何でこんなものが出来るのがわからない?そして「晴天の霹靂」と思うしかない「糖尿病」と診断され、インシュリンを打ったり血糖値を測ったり......びっくりしましたが、三ヶ月したら数値が良くなったので、今は薬だけを飲んでいます。そして足のプチトマトはガングリオと言われ、外科の大きな注射器で吸い取ってもらったら、ゼリー状の液体が出て、今はペチャンコになりました。顔面神経マヒも半年以上リハビリをして、やっと何とかなりましたが、まだ左目と右くちびるに違和感を感じます。
それにしても、いつも頭から離れない弟が入院している山の上の病院へ行かないといけないと思っていても、遠いし、私の体がまだ充分でなかったので、病院や看護師さんと連絡はとっていましたが、ついに一月十日に弟は帰らぬ人となったのです。これが私と弟のシンクロニシティです。
 弟のあと始末を済ませ、父と母が眠っている墓所に一緒にしてもらい、やっとホッとしている所です。

 私も半年ぐらいカーブスを休んでいましたから、久し振りに行ったら、店長から「復帰出来て良かったですね」「無理しないで下さいね」と声をかけて戴き、また私の娘の小一の時の担任だった先生が、何と96才でカーブスに来られていますが、「しばらく会えなかったからどうしたのか?と心配していたのよ」と、また娘の友達のお母さんから心配してメールを戴いたり、この世は全て出会い、シンクロして今があるとつくづく思います。
そして私の心と体がすぐ復帰出来たのも、18年もカーブスに通ったおかげだと思っています。