カーブスに通い始めたのは、母の「一緒に行ってみない?」という何気ない一言がきっかけだった。その頃の私は、毎日をなんとなくやり過ごしていた。体は重く、気持ちも晴れない。鏡に映る自分を見てはため息をつき、「どうせ私なんて」と小さくつぶやくこともあった。何かを始める気力もなく、変わりたいと思いながらも動けずにいた。
母もまた、年齢とともに体力の衰えを感じていた。外出する機会が減り、家で過ごす時間が増えていた。そんな母が前向きに何かを始めようとしている。その姿に少し背中を押され、「母と一緒なら続けられるかもしれない」と思った。けれど本音は半信半疑だった。運動が得意ではない私が、できるのだろうか。続かなかったらどうしよう。そんな不安を抱えながら、母と並んでカーブスの扉を開けた。
中に入ると、コーチが明るい声で迎えてくれた。その笑顔と元気なあいさつに、驚くほど心が軽くなった。無理に励ますのではなく、自然に寄り添うような声かけ。「大丈夫ですよ」「ご自分のペースでいいんです」。その言葉一つ一つが、固くなっていた私の心を少しずつほぐしていった。
最初は、マシンの動きについていくだけで精一杯だった。息が上がり、翌日は筋肉痛で階段を下りるのもつらかった。それでも、コーチは小さな変化を見逃さず、「前より動きがスムーズですね」と声をかけてくれる。そのたびに「少しは成長しているのかもしれない」と思えた。今までの私は、できないことばかりに目を向けていた。でもここでは、できたことを見つけてもらえる。そんな場所だった。
隣を見ると、母も真剣な表情で体を動かしている。終わった後、「今日は腕がキツかったね」と笑い合う時間が、いつしか楽しみになっていた。帰り道、少し汗ばんだ体でコンビニに寄り、冷たいお茶を飲みながら他愛もない話をする。その何気ないひとときが、私たちの距離を静かに縮めてくれた。
通い続けるうちに、不思議な変化が訪れた。朝起きたとき、「今日はカーブスの日だ」と思うと、少しだけ心が弾む。以前は、予定があることさえ億劫だったのに、今はその時間が待ち遠しい。体を動かすと、沈んでいた気持ちが少し上向く。汗をかくことで、心の中の重たいものまで流れていくようだった。
母も変わった。以前より表情が明るくなり、「今日はこれができたよ」と嬉しそうに話すようになった。その姿を見ると、私まで嬉しくなる。私も、母も、通う前より確実に気持ちが明るくなっている。家の中の空気さえ、どこか軽やかになったように感じた。
ある日、何気なく娘の服に袖を通してみた。以前は「きっと入らない」と試すことすらしない服だった。ところが、思いのほかすっと腕が通った。鏡の前でしばらく立ち尽くし、胸の奥がじんわりと熱くなった。
娘に「一緒に着られるね」と言うと、「いいじゃん、似合ってるよ」と笑ってくれた。
その言葉が嬉しくて、思わず笑顔がこぼれた。
それは単なる体型の変化ではなかった。自分を少し好きになれた瞬間だった。「どうせ無理」と決めつけていたのは、自分自身だったのだと気づいた。
小さな努力の積み重ねは、ちゃんと結果につながる。そして何より、自分を信じる気持ちを育ててくれるのだと知った。
カーブスは、私にとって運動をする場所以上の存在になった。そこは、母と笑い合える場所であり、自分を取り戻す場所でもある。半信半疑で踏み出した一歩は、今では確かな自信へと変わった。
これから先も、落ち込む日や迷う日があるかもしれない。それでも、母と並んで体を動かし、コーチの明るい声を聞けば、きっとまた前を向ける。
あの日、勇気を出して扉を開けた私たちは、もう以前の私たちではない。
母と一緒に歩み始めたこの時間は、体だけでなく、心まで温かく変えてくれた。これからも並んで通いながら、少しずつ、でも確実に、自分らしい一歩を重ねていきたい。
入賞
「母と歩む私の変化」
カーブスって
どんな運動?