子どもの頃から体育が苦手だった私、それでもそのまま生きてきたが70代になると急激に体力の衰えを感じた。
 歩くことが苦痛だ「69歳で心臓の大手術を受けているから仕方がない」などと口実を作って日々を送るが心中は「この先どうなるの?」と不安だった。

 2016年秋、駅前に開業する商業施設に「カーブス オープン」とのチラシが入る。早速申し込んで11月19日、体験実習を受ける。
コーチが丁寧に説明してくれ、私も一歩踏み出したからと、その場で入会申込をする。その時「カーブスのマシンは油圧システムなので操作はなめらかですよ」との説明。「油圧システム...」なんと縁があることか。
 私はかつて、20年間外資系企業で人事総務担当として働いていた。

 その会社は油圧機器を輸入販売する米国系企業で、日本国内あらゆる分野に円滑な動きの油圧製品を納めていたのです。
 50歳で退職した私が、歳月を経て再び油圧機器に巡り会ったのも不思議なご縁です。

 12月6日、カーブス初参加。マシンを2周してストレッチ「これなら私もできる。週2回頑張ろう」
 しかし、入会当時の私は、筋力もなくヨレヨレです。今まで「腹筋」を意識したこともなく「お腹に力が入らない、他人様に劣る惨めな自分」を知りませんでした。身体が支えられない、ちょっとの重いモノが持てない、傘を支える事も辛い、雨降りには泣きたい思いでした。
 「そんな姿でこれまで暮らしていたのだ」とカーブスで初めて自分を知りました。

 ある日、ベトナムの息子Bからメールが届きました。
 「お母さん、元気で体操続けていますか、今度ベトナムに来るときは以前より元気になって僕たち家族に会いますね。体操はきっと良い結果になります、がんばってください」
 私には「日本のお母さん、お父さん」と慕ってくれるベトナム人家族22人がいます。彼らとの付き合いはもう、25年、当時私は「日本語トレーナー」というボランティア活動をしていました。

 当時、ベトナムハノイに進出した日本企業に5人の大卒社員が採用され、1年間の研修のため来日したのです。彼らは、日本語も達者で優秀な若者でした。私と出会い、いろいろな交流を重ねました。その後、ベトナムに帰国して、再び日本の大学院で学んだり、ずっと、家族として交流が続いているのです。
 彼らも結婚して今では、22人の家族となり、私がベトナムに行くと家族みんなでパーティーを開いてくれ、4年前には夫の卒寿を祝ってくれました。彼らもいまでは、ベトナム産業界で活躍する企業経営者です。いつも連絡をくれるBは母校の大学で教鞭を執り、日本語通訳もしています。

 2017年3月、当時の日本国天皇、皇后両陛下がベトナムを訪れ、その席にBも招かれました。
 『今日、日本国の天皇陛下、皇后陛下様にお会いして、お話をしました。「横浜にお母さん、お父さんがいることは誇り、日本は第二の母国です」とお話しして握手をしていただきました』とメールが届き私はビックリしました。

 Bは私たちの暮らしを案じていろいろ連絡をくれます。
「お母さんのコロナ予防接種3回目が終わってボクは安心しましたよ。今度、お母さんがベトナムに来るときは80歳のお祝いをしましょう、こちらの家族は楽しみにまっていますよ。元気のために体操頑張って下さいね」メールが届く。

 私もカーブス通い年、この間タンパク質の必要性なども学び、日々食事に気をつけるようになりました。そして「腹筋がついてきたかな」と実感して週3回通う努力をしています。
 今度ベトナムへいった時「お母さん、元気ですね」と歓迎されるようにカーブスに願いを込めて頑張ろうと思います。

 疫病も争いも収まって自由に渡航できることを願っています。