私がカーブスを続ける理由の一つは、「人の役に立ちたい」からです。
「僕は、まだ人の役に立っていない。」
数年前、姪たち家族と旅行に行った際、姪の子どもが言った言葉です。当時小学校1年生だった彼は、2つ違いの姉が、旅館の部屋で、みんなにお茶を入れたり、浴衣を配ったりとてきぱき動く姿に、こう言い放ったのです。
普通考えても小3の姉の働きも、すばらしいですが、小1の子どもにそのようなことができなくてあたり前です。その場に居た大人たちは、「僕は(人の役に立ちたいのに)役に立っていない。」と泣きながら訴える幼子の姿をほほえましく見ていました。
私はそれ以上に感動して彼を見つめていました。何かみんなのためにしたくてもできない口惜しさで、地団駄を踏んで泣きわめいているのです。人はこんな幼いうちから、誰かの役に立ちたいという純粋な気持ちをもっているのだなぁと改めて思い知らされました。
私もこの年になり、その時の彼の気持ちがわかるようになりました。体が思うように動かなくなってから、ますます「誰かの役に立ちたい」という思いは強まりました。
特に大病をして、もしかしたら、命を落としていたかもしれないという経験をした身としては、その思いは強まるばかりです。
心の奥底の声を、あの純粋な子どもの頃の思いを叶えたいと思う頃には、思いと反比例して、身体が思うように動かせなくなりました。
「志は高いが、なにせ体が動かせない。」
大病したため寝たきりの生活が長かったため、筋力が衰え、思うように動けません。
でも病気をしてみて、残りの人生を少しでも人の役に立つ活動に費やしてみたいと考えるようになりました。
そこで体を少しでも動けるようにするため、カーブスを続けることにしました。普通に運動できる人たちに混じって、歩くこともたどたどしい私が運動を続けている理由は、「人の役に立ちたい」という思いにつき動かされているためです。
あとこんな私がカーブスを続けられるのは、コーチを始め、通っているみなさんが、みなやさしく見守っていてくれるからです。今まで気がつかなかったのですが、カーブスに通っている人の中には、私のように足が悪い方、とても高齢な方など、様々な方々がいらっしゃいます。その方たちも楽しそうにできる範囲内の運動をやっています。
私も、足が痛い時や心拍数が高い時は、その旨をコーチに伝え、運動を少しセーブしてやっています。コーチが気にかけて見守っていてくれるので、安心です。また終わりには「がんばりましたね。」のねぎらいの一言をくださり、とても満足しています。その一言で、足が痛くても運動しに来てよかったと思えます。
これが、カーブスの良いところです。他のジムや運動施設では、「スポーツ弱者(⁈)」の私など端に追いやられたり、嫌になってしまって続けられなかったことでしょう。
運動をしなければ筋力が見る見るうちに衰えていってしまう。これは実体験から私が学んだことなので、たとえ週一回であろうと細く長くカーブスを続けたいのです。
いくつになっても、人の心の奥底には、「人の役に立ちたい」というあの小1の少年の心の中にあるものが眠っていると思います。
私もカーブスに通って運動して筋力をつけて、人の役に立てるようなことをしたいです。だから、私はこれからもカーブスを続けます。
ちなみに件(くだん)の小1の男の子。今は、"なまいきざかり"の中学2年生になりました。朝、会っても、アゴをすくったようなあいさつ。前のような元気なあいさつをしてくれなくなりました。"お年頃"なんですね。
でも、先日の食事会の時、私がトイレに行こうと立ち上がると、彼は何も言わずさっと扉のところへ行って、自動ドアのごとく開けてくれます。そして何事もなかったように自分の席に着くのです。足の悪い私を慮っての行動でした。どうやら彼の心の中では、あの小1の時の純粋な心は健在のようです。
佳作
「人の役に立ちたい」
カーブスって
どんな運動?
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