私には大切な友人がいる。看護学校からの長いつきあいになる。退職してから今も小さなクリニックで共に働いている。10年前、地域にはまだ知名度の低かったフィットネスクラブカーブスのことを教えてくれた。筋トレの大切さやたんぱく質の必要性など熱く語ってくれた。
そんな彼女の人生は壮絶で想像を絶するものだった。彼女が48歳のとき、49歳のご主人を亡くした。胃癌だった。その2か月後お父さんも同じ病気で亡くした。当時、二人は彼女の勤務する外科病棟に廊下をはさんで向かいの個室に入院していた。看護休暇をとって一人で看護していた。朝5時にご主人の清拭を終えると休む間もなく、お父さんの清拭にと目まぐるしく多忙を極めていた。
ある日、担当看護師から、「まだ清拭終わっていないの?」と聞かれ悲しかった、と。看護師だからこそ業務の煩雑さや繁忙さもわかっている。少しでも看護師の負担を減らしたかったのだ。看護師でもあり家族でもある彼女の苦悩だった。「私が父の所に行こうとすると輸血している夫が早く戻ってきてよ」と絞り出すように言った彼の言葉が忘れられないと言った。ご主人が亡くなった時まだ学生だった3人の子供たちを女手一つで育て上げた。その後も試練は続き義父、義弟、義母を次々に失う。
それなのに彼女はいつも笑顔だった。冗談を言っては私を笑わせた。きゃしゃな彼女を前向きにさせたのは何だったのかその時はわからなかった。私の夫が肺癌で亡くなった時、一番に駆け付け、泣いてばかりいる私に代ってお寺への連絡や葬儀の段取りなど執り行ってくれた。涙が消える頃、今度は自分が許せなくなった。もっともっとできることがあったのではないか?二人で決めた延命処置はしない事、本当にそれでよかったのか?心電図の波形がフラットになり懸命に心臓マッサージをしてくれている看護師に、もういいです、もう十分です、激しい言葉でその処置を止めてしまった。彼はどうだったのか、もっともっと生きたかったのでは。今も自問自答を繰り返している。そんな私の話をじっと聞いていて「どんなに看護してもどんなに尽くしても悔いは残るよ。正解はないんだから。これでよかったんだよ。」自身に言い聞かせているようだった。
夕方6時になると、門を開けて夫が帰ってきそうな気がする。夫が逝った日は真っ青な空を桜吹雪がおおいつくしていた。桜がじいじを連れて行ったから僕が桜をやっつけてやる!空に向かって叫んでいた孫も12歳になった。桜を見るといまだに涙があふれるけど、こうして元気にカーブスに通っている。
あの時彼女がいなければ10年も続けられなかった。筋トレの大切さやたんぱく質の必要性を今は私が周りの人に伝えているなんて。30分のカーブス、私が私でいられる大切な時間。自分のこころを開放してあげられる大切な時間。いつ行っても明るく大きくて元気いっぱいの声、はじける笑顔、そして暖かい手の松茂カーブスの店長、コーチの皆さん、これからも「10年先も」よろしくお願いします。
佳作
「生涯の友とカーブス」
カーブスって
どんな運動?
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