また筋トレを始めよう......そう思い立った青天の霹靂の乳がん宣告から七年。慌ただしく続いた手術・抗がん剤・放射線治療を経て始まったホルモン療法が、六年目に入るころだった。末っ子も親元を離れて半年がたっていた。再発の不安と、多忙な仕事と、子育てと、怒涛のような日々に一区切りがついたと感じ、次の一歩を踏み出そうという心の余裕が生まれたのかもしれない。目の前に何かしら向き合うものをもって、時折顔を見せる不安を払しょくしたかったのかもしれない。少なくともあと四年は続くホルモン療法へと、自分を鼓舞する思いもあったような気もする。
こうして私のカーブス生活が始まった。早くも七年半になる。その間、途切れそうになりながらも今日までつながってきたのは、私にとってカーブスが多くの意味をもつからだ。
私にとってカーブスは、第一に自己投資の場である。マシンを正しく動かすよう意識し、コーチの話や掲示物から情報を得る。そんなふうに、少しでも多くの筋肉と情報を貯金していくのは何とも楽しい。
第二に、自分を追い込み達成感を得る場である。マシンを大きく早く動かしハードチャレンジ。息が上がってくるがもう一回。中学校陸上部の顧問として生徒に檄を飛ばした「頑張れ、粘れ、いける」という言葉が自分に返ってくる。そうやって生徒たちのきつさを共有したつもりになり、彼らの達成感に共感する。
追い込むのは肉体的なものばかりではない。指導者は気持ちの面でも強靭さが求められる。生徒たちは「勝ちたい」と口々に言う。部活動の目標は勝つことだけではないが、速くなりたい、強くなりたいという彼らの夢を叶えてやりたいと思うのは指導者の性だ。勝たせ続けるのはもちろん、思うようにいかず落胆し、打ちひしがれる生徒に寄り添うのにもパワーが要る。困難を乗り越え成長していく姿を目の当たりにできる喜びも面白さもやりがいも、指導者自身にパワーがなければ得られない。私は筋トレをすることで、自分の中の闘志をかき集め、パワースイッチを探しているのだと思う。
第三に、コーチングを学ぶ場である。教師という指導する立場から一転、指導される立場になり、コーチからさまざまな声がけをしてもらうのはとても新鮮である。声がけの内容やタイミングの大切さ、いくつになっても褒められるのは嬉しいことを再確認する。
ところで、コーチがよく誉め言葉で口にする「ばっちり」は、私たち世代に合わせてあるのだろうか。部活動で私はよく「ばっちり」を使うが、若い同僚は「ナイス」を多用し「ばっちり」と言うのを聞いたことがない。三十代の長女にも聞いたが「いい・完璧は使うがばっちりは使わない」とのこと。「ばっちり」という言葉にしっくりくるものの、コーチの年齢にそぐわない気がする。おばさまたちへの気遣いなのか、相手に合わせて寄り添っていくということなのだろうと、感心する。
第四に集中の場である。創作活動に筋トレは実に適している。私は毎年、部活動や生徒会などでかかわりのあった生徒に、卒業祝いのネーム詩を贈っている。生徒の名前を織り込んで作った詩を筆文字の作品にするのだが、多い年は三十人分ほどになるため、テーマや文言は年中考えることになる。無心にマシンを動かしているつもりが、いつの間にかネーム詩の推敲をしていることも多い。カーブスで思い浮かんだ詩を家で筆で書き、またカーブスで推敲し、帰って書き直す。机の前でいいアイディアが湧かない時も、不思議と筋トレ中にひらめいたりする。完成だ!と思ったものもマシンを動かしているうちに、頭の中で熟成されていくように変遷していく。「優希・大翔・音羽」など素敵な名前は度々制作するので、過去の生徒と同じにならないよう苦労する。
ヒップアブダクターに座って両足を閉じて開いて考える。「優しい 希望の華」内転筋と外転筋を意識しながら足を動かす。やっぱり最後の中体連の感動は入れたい。ボードで足踏みジョグをしていて「ラストラン」が思い浮かぶ。レッグプレスを両足で押し上げゆっくり戻し、「優駿」を思いつく。大殿筋、大腿四頭筋と力の流れを感じながら、頭の中で筆文字にしてみる。「優駿のごとく駆け抜けた夏」ごとくは漢字で力強く、抜けたは滑らかさを出すためひらがなにしようと思いながらチェストバックへ。目いっぱい背中を伸ばしてグリップを握る。大胸筋を使って素早く下ろし、広背筋を使って押し上げるうち、息が上がってくる。「優駿の如く駆けぬけた夏 心に希望咲かせた 君のラストラン」ひとまず決定し次へ行く。「大志を掲げ・広大な空に・大切につないだタスキ・大きな壁も超えて...大いなる夢を追い 翔けろ未来へ君の力は 無限大」マシンを動かしながら浮かんでくるイメージや言葉や生徒の笑顔に、私のわくわくも無限に膨らむ。「自分の音色を響かす幸せ 自分だけの空羽ばたく幸せ」筋トレをしながら、自分の思いが自由に羽ばたく、とても貴重で幸せな時間だ。
第五に、懐かしい出会いの場である。カーブスで昔の恩師にお会いすることがあるが、今もなお元気なお姿に刺激を受ける。昔の友達や同僚との再会も嬉しいが、昔の生徒の保護者と思いがいなく会ったときは、思い出があふれ、一日中温かな気持ちになった。
第六に安心して通える快適な場である。ドアを開けると、すぐさま響くコーチの快活な声。「こんにちは、美和子さん」名字でもなく誰かの奥さんでもなくお母さんでもなく、自分だけの名で呼ばれることはこそばゆくも嬉しく、一人の個人として尊重されている感じがする。コーチの声は室内に響き、心に響き広がっていく。
マシンのシンプルさも、カーブスが快適な理由の一つだ。順繰りに回って一つ一つのマシンに懸命に向かえばよい。おもりや速さなどを自分で調節したり設定したりしなくていい簡易さ、マシン二周とストレッチで約三十分という見通しの明るさ、それが安心感を生む。緑内障の進行でいろいろ見えにくい私でも大丈夫だ。行きさえすれば何とかなると思わせてくれる。
私は昨年定年退職した。部活動指導員の仕事だけになったので時間はたっぷりある。毎日カーブスに行って、時々孫の世話をして、趣味や旅行も思う存分できる!と思っていた矢先、義母が急に衰え介護が必要になった。なるほど人生そう甘くはない。たっぷりあるはずだった私の時間はやりくりすべきものになった。時間があったら行こうでは、いつまでたっても行けない。時間は自分で生み出すしかない。筋肉も同様だ。いつまでもあるものでもないし、そのうち何とかなるものでもない。筋肉は自らつけるしかない。
よし、カーブスに行こう。自己投資のために、達成感を得るために、学ぶために、集中するために、出会うために、快適さを味わうために。今日もカーブスで、新たな意味を探すために。
佳作
「今日もカーブスで」
カーブスって
どんな運動?
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