二〇二五年三月十五日、肥料の箱を持ち上げた瞬間突然目の前がぐるぐる回り、はき気がした。リビングまではって戻り、目を閉じていたがおさまらず、起き上がることができなかった。義母の四十九日の日だった。葬式の後、相続の手続きやお寺のお参り、親せきのおつきあい等毎日忙しく動き回ってやっとほっとした日の出来ごとだった。幸い、だいたいの用意はできていたので、息子と親せきの人が後のことはしてくれ、無事に四十九日をすますことができた。次の日になっても症状がおさまらず病院に連れていってもらうと脳出血と言われ、即入院することになった。それまで病気で入院したことがなくとても健康だったのに、急に入院してとても不安だった。
病室で目を閉じていると、いろいろな声が聞こえてきた。仕事のことを気にしている男の人、家族に電話している女の人、自分のことがよく分かっていない人、どの人も不幸で、日常のありがたみが身にしみた。私は日常にもどれるのだろうか。三日間すぎた。思いがけず私は退院できることになった。脳出血なのに軽かった。車の運転はみあわせるように言われたが、ほかのことはだいたい前のとおりできうれしかった。職場やカーブスには自転車で通った。ほぼ毎日通っていたカーブスには月に五、六回しか通えなかった。けれどもおうちカーブスがあったし、五月になると運転のおゆるしが出た。うれしくてうれしくて二ヶ月あまり乗っていなかった車に乗ってカーブスに行った。
その帰り、自宅近くの道のえぐれたところにタイヤがはまり隣りのブロックに車をあててしまった。意識を失っていたが救急車で運ばれる頃には意識ももどり、エアーバックのおかげで頭を少しぬっただけですんだ。車は保険のおかげで新車にかえてもらえたが、新車が来るまで一ヶ月程、車のない生活に逆もどり。カーブスにも月四・五回しかいけなかった。
 六月には、息子の結婚式で軽井沢に行った。軽井沢の石の教会や泊まったコテージ、美しい新緑の景色。孫達の明るい声。楽しいたくさんの思い出。夏には、新車がきて、夏休みには近場で孫達と楽しくすごした。秋には地元の劇団の公演にも参加し、日本舞踊を文化祭で披露することもできた。冬には、楽奏の指揮をして一緒にやりとげた充実感を味わった。
カーブスにも月に十五回以上通えるようになった。車が運転できない間、病院や買い物に連れて行ってくれた親せきや友達に感謝し、前向きな気持ちにさせてくれるカーブスのコーチやメンバーの方に感謝し、いつか私も人の役に立てるようにこの健康を大切にして生きていきたい。