私はカーブスに通ってから10年ぐらいになります。
その間、大病をして1回退所しました。
一緒に通っている友達に後押しされて1年くらいで復帰し、「ああ...やっぱりここは私の居場所なんだ」としみじみ思いました。

 それから今日まで、指折り数える程病気をし、入退院を繰り返してきましたが、絶対、元気になって私の居場所に帰るんだ!と自分に言い聞かせ、入院中のリハビリも、痛み止めの薬を飲みながら頑張りました。カーブスの皆んなが待っている。と思うと力がわいて、自然に笑顔になるのです。

 昨年、夏の終わりに娘と南魚沼の旅に出かけてきました。山形新幹線で大宮に行き上越新幹線に乗り変え、又、2回も乗り変え目的地に着きました。私は杖をついてでしたが駅のホームをスタスタと歩いて娘たちの後ろを付いて行きました。何回も私のほうを振り向いて「お母さん大丈夫?」と心配してました。
「大丈夫!大丈夫!カーブスで筋肉付けているから...。」と私はニコニコ笑って返しました。でも汗ダクでした。

 南魚沼は私の実家の先祖が住んでいた処で、下倉城の城主だったらしいです。30数年前に、南魚沼市の職員の方が私の実家にいらして、南魚沼市の歴史の著書を書かれるとかで、詳しい先祖の話を聞きたいとの訪問でした。私の父は、その頃体調をくずし興味を示さずで職員の方の役に立てなかった覚えが有りました。
私は、ずっとこの30数年、その事を気にかけていたのを長女が知っていたので、「私が一緒に行くからお母さん、先祖の供養に行こう!病気ばかりしているから御先祖様に手を合わせて来よう!」と言ってくれたので、杖を手に歩きました。
出発以前に職員さんに連絡をして30数年前、実家に訪問された方は、亡くなったと言われました。その方の部下だという方に、自宅に案内してもらい線香をあげて手を合わせてきました。長い間の申し分けなさが込み上げて涙があふれました。奥様に御主人が書かれた南魚沼の歴史の本を頂いてきました。そこには私の実家の先祖の戦国時代の生きざまが書かれてありました。城跡は山の上で登ることはできませんでしたが、石碑が建って有りその前で写真を撮ってきました。お寺にも行き、お和尚様のお話を聞き、本殿で、御経を読んでくださり、有り難く供養をしてきました。

 この旅は私が30数年間、思い続けた私の先祖(ルーツ)の旅です。私が御先祖様の処に逝った時、お和尚様に聞いた話など、たくさんの土産話ができます。

 今日、娘と孫とで、お好み焼きパーティをしました。学校が春休みなので、大学に行ってる孫も来てみんなで買い出しに行ってアレもコレもとカゴに入れ、いっぱい材料を買いました。
もう食べれないと言いながら、どんどん焼いて食べている孫を見て小さい時は少食で、こまっていたのに、いや〜!食べることは食べること、すばらしい!私の話(カーブスでのでき事など)を聞いてばあちゃんのアクションおもしろい!と大口をあけて大笑いしてました。

 私が元気で居るから旅行もできたし、私が元気で居るからこうして娘や孫たちとおいしい物を食べて大笑いしていれるし、カーブスを続けて良かったと思うのです。
こういう時間のために生きているのです。