母が家の中で転び不自由な体になり、病院への付きそい、食事の準備、片づけ、ディサービスから帰ってからも、夜までずっと実家での生活。自分の家の玄関を開け入った時「やっと帰ってきた」と思うのでした。そして、明日は、何を食べさせる?どこを片づける?そんな、毎日のくり返しの中、2度救急車のお世話になり、母はどんどん体が動かなくなっていくのでした。
入院していた頃、「明日も、また来るからね!」と言い、病院の外へ出ると傘にポツ、ポツと雨つぶが、まるで「もう帰っちゃうの、お母さんが、かわいそうじゃない?あんたは、何をしてあげたのよ?」と言われているかのように、あの雨音と、真っ暗な夜が、自分を、責めて、責めて立てない母に「すまないねぇ~」と思うと同時に『疲れたの』と・・・・・思ってる自分がなさけなく。私の体がもう、悲鳴をあげていたのです。カーブスを続けてもうすぐ8年ですねと、コーチから言われたころ『もうできない』『生活がすっかり変わってしまって』・・・・辞めてしまったのです。笑えない毎日でした。体が重く、時間があれば横になり、もちろん自分の食事など、手ぬきの毎日。食べなくたっていい。買物に行く事さえも、おっくうになっていました。
こんなくり返しの中、母は、やっと特別養護老人ホームに入所する事となり少しずつ、自分の生活が、時間が、作れるようになったのです。
辞めてしまったカーブス・・・もう半年がたっていました。
 でも、もう1回入りたいのですがと、言う事と、皆さんとトレーニングをと話す自分に、どうしよう?と迷ってしまうのでした。
 久しぶりに「お早うございます」とカーブスに入ってみました。
少し、ドキドキしてる自分に、コーチが明るく「順子さんお早ようございます」と。昨日もカーブスに来たじゃない?と、思える笑顔で『待ってましたよ』と声をかけていただき、ホッ!とひと安心しました。
 私は、カーブスへ、自転車で通っています。ずっと自転車に乗っていなかったので、足の筋肉が、たった、7~8分の距離なのに『力』が入らず「あれ?全然前とちがう」と思いびっくりでした。
筋力が落ちるって、こうゆう事なんだと、はっきりわかるほどでした。
 今回色々な事がありましたが、体力が落ちてしまったので、また皆さんとコーチの方々に教えていただき一諸に頑張ろうと思うのでした。
 そして、もうひとつ、介護の事を何も知らなかった私に何回も教えてくれた友達「Kさん」と「Yさん」に『ありがとう』と、お礼を言いたいです。彼女達と出会えたのも「カーブス」です。
 60歳を過ぎると、友達はできなくなるとテレビで見ました。いいえ、カーブスに来ればいつも親切なコーチの方々と、そして友達が、たくさんいる事に私は、感謝します。
そして、私は今日も強風の中、黄色い自転車をこいでカーブスへ行き、頑張ろうと、思うのでした。トレーニングを終って外に出た時のあの、ここち良い「風」を感じるために。