ティータイムに笑いながら読んでいただきたい。私に起きた大事件を、心の声(『』で表す)と共に。
事件は11月下旬の日曜日午前11時前に起きた。紅葉シーズンで各地賑わい、津山城跡鶴山公園も多くの出店や芸人さんのステージもあると報じていた。私達夫婦も今年もまた紅葉を愛でた後、出店でお昼を済まそうと計画していた。11時前、そろそろ出発だと支度をしてお手洗に入った。夫はカメラをバッグに入れ準備を整えて、テレビをつけたまま雑誌をめくっていた。
いつものようにドアを軽く閉め、いつものように軽く開けようとした。
『えっ』ドアがびくともしない。
『えええ~~~っ』
ドアノブが一ミリも動かない。約20年前にバス・トイレをリフォームして以来、内からロックなんてしたこともない。
『だいたい家のトイレにロック機能など要らんわな。しかし、今こんなこと言ったって何にもならん。えーーーっ。なんてこと?!』
しかし今日で幸いだった。夫が居る。ホッとして大声を出す。何度か夫を呼ぶ。しかししかし何の返答もない。
『え~~っ。何してんのよぉ。』
夫の居る部屋から直線で約六メートル、私にはテレビの音が聞こえている。「おばあちゃんの声大きすぎ」とコンビニなどで孫から言われる私である。自信を持って騒ぐが何も起きない。
『えーっ。一緒に居たって全然ダメじゃない。仲良しにしてたって、大事な時助けてもらえないじゃない。-私はひとりだ。』
 夫を諦めて自分で、ひとりで、何とかしようと決めた。改めて狭いトイレの中を見回す。「残念でした。チーン」とみじめな鐘の音が聞こえるかのように、ドアを叩き壊す道具は何も無い。ドアの上部に約20センチ四方の小窓がある。何にもなりゃしない。北側の壁に、下から120センチ程上に窓がある。縦55センチ、横78センチ(後から測った)サッシ枠に2枚ガラスが入り、片方は網戸も入っていて、1枚分しか開かない。外はコンクリートの土間である。片方開けた窓を見ながら考えた。
『この窓まで上がれたら、そこで身体の向きを変え窓にぶら下がって、土間に足を着けることはできないか』
便座から80センチ程上の小窓に片足をかけてみる。『えっ届きそう』。窓の枠に腕の力でつかまりつつ、片方かかった足にも力を入れ、身体を持ち上げる。移動しながら思った。『なに?これ。私こんな難しい技がクリアできてるわ』思ったより簡単に小さな窓、それも半分の窓に移動できた。
『ちょ、ちょっと高くて恐いけど、身体を丸めてこんな狭い枠の中に私は移動できている』足も高く伸ばすことができて腕も足も腰も力が入り、すべての筋肉が働いている!と喜びの実感をしたのも束の間、又厳しい現実に戻った。悲しいかな、それから先に進めない。そこから土間には簡単に着地できる高さではない。手を離して飛び降りるのはあまりにも無謀である。傍には大きな温水タンクがあるが、なんの凹みも凸っぱりも無く何の役にも立たない。
『やはりー無力だ』
 ひとりで格闘すること15分ぐらい後(実際にはもう少し短時間だったかもしれないが、私には長く感じられた)夫の声がした。
『やっと?!』
毎度2人で出掛ける際、決めた時間を少々遅れる私を夫はいつも急かすことなく穏やかに待ってくれている。
『今日は、そのことが仇なんだよォ。もっと早くと急かせてくれ。捜してくれ』
しかし、これでやっとなんとかなる。脱出できることには繋がらない。
夫がドアの向こうで、いろいろな工具で試してみても「チーン」の鐘が聞こえるばかり(の気がした。)鍵の周りを切断する以外ないと結論は出たのだが、夫は穏やかに言った。「こういう平面を切る道具を友達から貰っているけど、刃を替えんと使えんだろうなぁ。」
『え~~。この上まだ私をここに閉じ込めたままこれから刃を買いに行く?!』『え~~。この人そうするかもしれん。私は待っとれん。鶴山の紅葉も明るい内に見たい』
『何よりも、私は早くトイレから出たい!』
 夫に土間に脚立を持って来てもらうよう頼んだ。窓から顔を出していると、土間の戸が開いて夫が3段の低い踏み台を持って現れた。
『いやいや。私の足はそこまで伸びない。あなたが踏み台に上がり、手を伸ばして私を抱きかかえてくれるんですか?!子猫や小鳥じゃああるまいし(怒)』
倉庫から中ぐらいの脚立を運び、土間から窓近くに置いてもらった。
「そんな小さな窓から出られるん?」
「やっぱりあぶない。無理だろう。」
下で夫が穏やかに騒ぐ中、私は華麗に(の気がした)はしごを伝って降りた。便座に上がり窓に手をかけ、片足から窓の枠に登り、身体を丸めて向きを変え、外のはしごに片足を伸ばして身体を移動した。実際、他人が見ていたら「実に鮮やかに身軽に行動する。」と感嘆されたかもしれない。(と思った。)
 かくして、私は無事トイレから生還した。思えば怖いことである。トイレに閉じ込められたら無力である。
対策としては「携帯を持参する」「何かの道具を中に置いておく」などあるかもしれない。トイレに限らず、災害を予想してその対策を考えることは重要なことだ。
 しかし、今回の事件で、私はもうひとつ大切なことに気がついた。閉じ込められたトイレで、何も好き好んで危ない真似をせずとも静かに待っていても今回は出られただろう。しかし、自分で動いてみて気がついた。まず大切なのは身体なのだ。筋力のある身体なのだ。災害に不幸にして遭った時、あと一センチ手が伸びたら・・・あともう少し足が上がっていたら・・・危険な場面が劇的に救いの方向に変わることがあるかもしれない。日頃からわずかであっても身体を鍛えておくことが自分を守る一番の、そして簡単にできる対策なのだと思う。
 脱出後、ドアノブ付近を壊しドアの開閉ができる状態にだけして、大幅に遅れたが予定通り鶴山に行った。『元気だから脱出できたのだ』『私は元気!』石段を登る足どりがずい分軽い気がした。今年も紅葉は美しく、櫓から見下ろす津山の街並も穏やかに、出店のトマトの入ったラーメンは格別に美味しかった。そして大きな声で叫びたい気がした。
「やっぱり筋肉って大事!」