私は織物の町桐生から現在のカーブス伊勢崎境店がある境町へ職場の同僚だった主人と25歳の時に結婚して来ました。あまり桐生と交流が無かったので主人だけが頼りでとても心細かったのを覚えています。同居の母がまだ元気だったので桐生で働いていた事務の仕事を境町に来てからも続けました。主人が勤めていた桐生の通産省織物検査所(現経済産業省)は織物の産地の検査所へ転勤があったので私が転職を進めて間もなく、スバル株式会社(旧富士重工業)の今のスバルに入社しました主人が1歳年下の為私も地元の白十字という紙オムツで知られた会社の販売部に移りましたが自家用車が持てず一生懸命共働きをしました。25年勤めた頃販売部が川越に移転する事になり通勤時間がかかるので止む無く辞めました。2つめの冠婚葬祭業の会社で事務員募集があり52歳でしたが採用して頂きました。
 仕事はとても忙しかったので65歳の時に短歌の会に入会しただけでスポーツは苦手でやりませんでした。70歳を過ぎて体力に不安を感じていたら、会社の若い人が最近出店して1年位の「カーブス」に紹介され取り敢えず体験に行きました。機械を使って全身の筋肉を鍛えるというので難しくはないのですが体力不足で動かせない機械が6台位ありました。コーチの方が優しく自分のペースでやれば良いと聞き安心してその場で入会を決めました。週3~4回頑張って通い1年には全部のマシンがスローながらマスターする事が出来ました。筋肉が付いてきたのよ!とコーチに褒めて貰いました。
 通い慣れてきた頃に運転免許の書き換えで少し視野が狭いと言われ眼科で見てもらうと白内障があるので早目に手術をした方が良いと言われ、6月に2回に分けて両目をしました。主人と2人暮らしで子供は東京住まいなので通院ではなく入院をさせて貰いました。入院生活は余り動けないし食事も他の人と一緒で蛋白質中心では無かったので体力が落ちてしまい、仕事は1か月で戻りましたがカーブスには暑い時期もあり2ヶ月お休みをしていました。ある日コーチの方からその後如何がですかとお電話を頂き、背中を押されるかたちで、カーブスを再開しました。中断をしたことで機械の動きが以前の時と同じく重くなってしまい、如何に休まず筋トレを続ける事が大切だと実感しました。
その内気候が涼しくなり、体力も戻りました。マシンを動かす隣接する友達に太ももの筋肉が盛り上がっているのがよく分かると言ってもらえ、嬉しくなりました。仕事は76歳まで在職させて頂き退職しました。現在はカーブス通いと、脳トレにパソコン少し楽しんでいます。
 現在カーブス歴、3年6ヵ月になる私が心掛けているのは次のような事です。
① 7年前に胃がんの為2/3切除をしたので食事が一度に沢山食べられないので、胃に負担のないプロテインをカーブスと自宅と2回飲むようにしています
② 身体も細いのでカーブスのトレーナーは明るい色を選びます。気持ちも明るくさあー頑張ろう!!
③ カーブスのシューズは履き心地がよいので自宅の散歩用にも購入して毎朝主人と早朝にジョギングも交えて30分楽しんでいます。
④ 体質が冷え性なので良く入浴をします。カーブスに行く前にも入って行くことがあります。昼間に入っても風邪にもインフルエンザにもかかりません。
⑤ 最近気が付いたのですがプロテインの容器、靴も皆さん同じようなので自分が間違いないよう名前を付けておいたのを他の人が間違いに気づいて未然に過ぎコーチの方に助かりましたとお礼を言われました。
⑥ 当面の私の目標は体重が40キロに満たないので40キロに増やす事、空風に飛ばされないように!友達には細いと羨ましがられますが逆の友達も数名います

「カーブスで頑張って叶えたい私の夢」
 足を鍛えて、「旅」をする事。近くでも遠くでもいい。ヨーロッパは主人に2回連れていって貰いましたが、子供が留学したアメリカのホームステイのファミリーに逢いに娘と一緒に行けたらと願っています。