初めてのカーブス体験で、どうしたことか私は妙にカーブスが気に入ってしまった。マシンでの動作が楽にできたし、明るい場の雰囲気、よく笑うコーチとメンバーさんたち。とくに運動後の疲労感の無さがうれしかった。これなら続けられるかもしないと密かに思った。幼少時に遭った2つの事故がトラウマとなり極端な運動嫌いになった私からアッサリ苦手感を取り払い、軟着陸したカーブス体験を不思議だとも思った。
●カーブスに出会う
 私は現在76才で、基礎体力がなく、持病が2つあり、スポーツは大の苦手。加えてライフワークを両手に抱え、ギリギリの時間配分で生きている。幸いにも、人生の折々に必要な人や物事との出会いに恵まれ、助けられてきた。そういう意味で、今また絶妙のタイミングで身体と生き方を補強してくれるカーブスに出会ったことを有難く思う。
 昨年(2015年)6月、私は思わぬ困難に出会い、自分の方向性が突如見えなくなる事態に遭遇した。夫が部屋の電球交換という慣れた作業で椅子から落ちて転倒し、そこから9ケ月に及ぶ入院生活が始まったのである。手術とリハビリを経て先日ようやく退院した夫は、今も歩行器と車椅子の助けを借りながらの生活である。
 それまで体力がない中で辛うじてバランスを取ってきた日々の仕事、ライフワーク、趣味の園芸など、生活全般にたちまち支障が出てきた。これ以上の負荷に耐えられる自信がなく、途方に暮れていた私をカーブスへと誘ったのは、一足先に入会していた長女だった。彼女は、家事と仕事と夫の見舞いに明け暮れて浮かない顔をしている私に会うたび、「カーブスっていいよ」を連発した。こんなに疲れて体はガタピシなのに、この上さらに運動なんて!と内心で反発する私に、彼女は明るい顔で「とにかくもっと筋肉をつけないと!」と言う。
 筋肉をつける-たぶんこの瞬間、私の意識がカーブスを捉えたのだ。かつて主治医が私につぶやいた言葉が脳裏をかすめた。「貴方の筋肉はいったいどこにあるのか・・・これでよく動けているねぇ。」当時の私は、この言葉の重大さがわかっていなかった。しかし、このままの状態を続ければ自分の体は確実にダウンするという現実を前に、「もしかしたらカーブスには筋肉をつけるスキルがあるのかもしれない」と予感した。そして体験参加の後、すぐに入会を決めた。昨年8月のことである。
●カーブスはおもしろい
 カーブスの壁面には、ワクワクする言葉で埋め尽くされている。「誰のため?自分のため」「たね火表をつけましょう」「運動習慣は体温アップ、免疫アップ」「明日の自分にきっと驚く」「筋肉をつけて節税効果」などなど。中でも、「誰のため?自分のため」というモットーは、私が今までの生き方で大切にしてきたものでもある。自分を大切にしなければ、他者を大切にする気持ちも育まれない。
 指導者たちからのメッセージは明確に言葉にされて、愉快な写真やイラストとともに、脳にポジティブな刺激を与えてくれる。オーナーからのメッセージも掲示され、女性の一人としてその言葉に共感を覚えた。
 先日、「大好きなカーブスダイエー川西のメンバーの皆様へ」と題するコーチからのお手紙が届けられた。そこには、それぞれのコーチがメンバーの方々に抱いている率直な思いがあり、彼らの体験から仕事を通して出会う奇跡が書かれていて説得力があった。それらひとつひとつの言葉が、どうやってこの危機を越えようかと途方に暮れていた私の心と身体に浸透したである。
 仕事や家事、夫の介護-これらの時間配分をどうするのか、体力のない私が体を壊さずに夫をサポートするにはどうしたらいいのか。そうだ!別の座標軸をつくればいい、これまでと違う生活スタイルを考えれば、出口が見つかるかもしれない!ふと、勇気のようなものが湧いた。
●二の腕と太ももにハリが!
 カーブスでは毎回、筋肉を増やすことがいかに大切であるかを語るコーチの言葉を耳で聴き、壁に掲示された資料を目で見る。3ヶ月が過ぎたころ、日々の暮らし追われながらにどうにか週に一度カーブス通いをするうちに、ある日また意識の転換が起こった。体の変化に気づいたのだ。私が気にしていた、二の腕と太ももの弛みにほんの少しハリが戻ってきた-正確には、そのように感じた。
 想像以上に嬉しくて娘たちに自慢すると、娘たちは大いに喜び、何よりも明るいコーチの皆さんが手に手をとり喜んでくれた。急激に私の気持ちがカーブスに傾いた出来事である。忙しさや疲れを言い訳にするのをやめ、多忙でも1週間に2度はカーブス行くようスケジュールを組んだ。大転換だった。現在まだそれほど大きな変化は見えないが、カーブスを続けることの意味を徐々に私は理解していった。カーブスのシステムには無理と無駄がない。トータル30分という時間枠の中で、本当によく考え抜かれたプログラムだと思う。30秒ひと区切りで繰り返されるマシンとステップボードの運動、計算された水分補給のタイミングは、過度の疲労を起こすことなくエクササイズを可能にしてくれるし、マシン操作後のストレッチは癒しにもなる。一通りの運動を終えると、私は、ああ今日もするべきことをしたな、という満足感と安心感に満たされる。生活の中でこんな時間を持つことはなんと有難いことだろう。この感慨は、自らの筋肉を作ることで健康を維持増進し、恐れの心を持たずに夫の介護をしていけそうだな・・・という、かすかな自信の源になっていると思う。
●希望の種火が灯った
 私の通うカーブスは、近くの大型スーパーの2階にある。よく買い物に行くのに、娘に言われるまで、全くその存在に気づいていなかった。それほど私は運動に関心がなく、情報感度も低かったということなのだろう。
しかし、今はできる限り多くカーブスに通いたいと思う。もうこれ以上努力する余地なんてない・・・と自ら前途を阻んでいた数か月前の私から、自分で作った壁を取り払ってくれたことに感謝している。
 私はこれまで、傲慢にも自分は正しい食生活をし、基礎運動を取り入れ(10年前から地域で続けている健康体操)、1日30分の散歩をし、ライフワークを通して精神的な安定も得て、生きるために最大の努力をしていると思っていたようだ。しかし、夫の思わぬケガから起こった一連の生活の変化に対応できなかった自分がいた。また別の努力と工夫が必要になっていることに、カーブスは気づかせてくれたのである。日々筋肉を鍛え、よく笑い、より免疫力を高める努力をすることは、今まで手をつけてこなかった部分であった。カーブスの種火表にあるように、私の心に「できるかもしれない」という希望の種火が灯されたのである。
 入会以来の数か月で、私の体がどう変化したかはまだ定かでない。何しろ主治医から、全く筋肉が無く、これで動いているのが不思議なぐらい、と感心されてしまうような有り様だから、1年や2年で変化するとも思っていない。ただ、新しい希望を手にして、私はこれから慌てずゆっくりと歩くつもりである。希望を手にした者は強いと信じている。
 介護には時間と体力と精神力が必要だ。ライフワークにもエネルギーが要る。だからこそ、迷わず筋トレ生活を続け、成果を手にするつもりである。