十年も前になるでしょうか、家族に予期せぬ出来事が起き、それを機に私は心の病気を抱えることになりました。眠れない毎日、食欲も落ち、人と話すことも、会うこともいやになり、家に閉じこもることが多くなりました。心配しても職場から電話をかけてくれる主人もうっとおしくなり、生きていることの辛さを味わいました。
 六十キロあった体重は三ヶ月で四十四キロまで落ち、そんな私を見て主人が「顔を見るとそうでもないが、後ろから見るとまるでミイラ。生きている感じがないぞ。」と言われショックでした。
そう言われて辛い中、いろいろ努力してみても体力は回復せず、筋力も落ち、ただ一日の長い時間何をするともなく流していました。
暑い夏の日、めったにはかないスカートをはいて夕食の支度をしていると食材が下に落ち拾おうとしてなにげなく見た足に妙な斑点が広がっていて「なんやろう、薬疹でもないし。」そう思いながら不安だったので主治医の先生に診てもらったところ「紹介状書くから入院の準備をして病院へ行きなさい。」と指示を受け、主人に連れられK病院へと向いました。不安な思いで待合室で待っている間、心のどこかで「たいしたことないって、先生大袈裟なんだから。」
やはり結果は入院。病室までは車椅子でした。身体を動かすと最悪の場合脳内出血を起こしたり、消化器管出血の恐れがあると言われ、病名は特発性血小板性紫斑病という原因不明の病気でした。今思うと原因はストレスだったのかも知れません。悪いことは重なるもので、私の入院中に実家の父が他界しました。
入院は十日程で終り、後は通院で様子をみることになりました。ところがその治療の為の薬が別の病気を引き起こす原因となり、その病気は糖尿病でした。
食事と運動でどうにか対処していますが、これを続けるのには相当の努力が必要です。特に食事はとても大変です。食べはじめは野菜をたっぷり取り、その後に蛋白質、糖質等々。特に魚を主にした食事です。カロリーを取り過ぎないように!頭で食べるとはこのような事だろうと思います。朝、昼はしっかり食べて夕食は軽く、夕食後の間食はひかえるようにしています。
心の病気は昨年の三月で治療は終了しました。約八年後程かかりました。当時、私のためにたくさんの人が心配し、助けて下さいました。その中で息子のピアノの先生が「合唱やりませんか?気持が晴れますよ。」と誘ってくださり、参加することになりました。歌は昔から好きでした。一週間に一度の練習は少しずつ私の気持を変えていきました。
 心の病気になってわかった事は、専門の先生や薬、家族、回りの人達の援助はとても大切な事ですが、もうひとつ大切な事は絶対治りたい、という自分の気持を持つことだと思いました。でも焦りは禁物です。少し良くなってもまた、もとに戻ってしまします。ゆっくり、ゆっくりの毎日でした、今もたまに落ち込む事がありますが、家族や友人が話を聞いてくれます。
ある日、その友人から電話があり「カーブスの無料体験に行ってみない?」と誘われ気持が動きました。いろいろあった私でしたが、そろそろ自分の心と体の健康の為に何かはじめたいと思っていたからです。
 私が通いはじめたカーブスはショッピングセンターの中にあり、誘われる以前から興味がありました。買物に行くたびに「どんなんだろう?どんな人が行っているのだろう?」ちょっとのぞいて見た事もありました。でも、なかなか「こんにちは。」と入っていく勇気が今ひとつなく、友人からの電話は「行ってみね。」という後押しだったと思います。スタッフの方から連絡を受けいろいろな説明を受けました。
計測してもらいショックでした。思っていた以上体力も筋力も低下していて「これでは駄目だわ。」やってみようという気持を持つには時間がかかりませんでした。そんな思いで昨年の九月から通いはいじめたカーブスでしたが、一週間過ぎた頃から毎日夜中の二時頃に目が覚めるとその後は眠れない日が続いていたのに一度目が覚めても再び眠りにつけるようになりました。持病も筋トレすることにより良い方向にむかうのではないかと思い、主治医に相談すると「週三回は行った方がいいよ。」とアドバイスを受けました。今年に入ってこんなこともありました。
二月初め孫の入院で慌てていたのか、段差を踏みはずし右足首を捻挫してしまい足をかばう毎日でしたが、治療してくれた先生に「よく骨折しなかったなー。」と言われ、筋トレしているおかげだと実感しました。カーブスは私にとって憩いの場所です。疲れていても、カーブスのドアを開ければスタッフの方々の明るい声や友人にも会えます。落ち込んでいても、身体を動かしはじめると不思議にスッキリして来ます。カーブスは私にとってオアシスです。
長い人生、回りの人達に迷惑をかけず、心も身体も健康に年を重ねていきたいと思います。
私と同じ悩み持つ人、カーブスへ行きませんか?