私は3年前、この同じタイトルで、エッセイに応募しました。「母が膝関節の置換手術の後、カーブスを始めて、とても元気になり、そんな母を見ている私は本当に幸せです。」と書きました。
そして、その幸せは延々と続くと思っていました。実際、その後の2年間は、毎朝一番でカーブスに行き、仕事やボランティアで忙しい私に代わり、一切の家事も引き受けてやってくれていました。孫や曾孫にとっても、自慢の元気印のばあちゃんでした。
ところが、一年前の3月頃から、身体中の痒みを訴え始めました。乾燥肌と言われ処方された保湿クリームを塗っても治らず、酷くなる一方でした。そのうち、咳が出始め、風邪薬や咳止めを処方されましたが、一向に治らず、痒みと咳で夜も眠れない状態になりました。そして、便秘や体重減少が見られたため、大学病院を受診しました。
診察で、腹部に腫瘍が出来ている事が判明しました。便秘でお腹が張っていると思っていたら、何と20センチもの巨大な腫瘍ができていたのです。すぐに入院して、様々な検査を行いました。PET/CTで、腹部以外にも右足の付根、右腕の付根、心臓付近、胃の近くにも腫瘍がある事が判りました。
そして、ドクターから告げられた病名は、「悪性リンパ腫」でした。悪性リンパ腫のステージは、①腫瘍の大きさ②腫瘍が横隔膜の上下に存在するか③血液検査の数値④年齢で決まるそうです。母の場合は、①~④のすべてにあてはまるので、ステージⅣだと言われました。
ドクターからは、「すぐに抗がん剤治療をやりましょう近年は良い薬が出来て、悪性リンパ腫の場合は、抗がん剤治療の成果は十分期待できます」との事でした。
それでも、3週間隔で8回、約半年に渡る抗がん剤治療を続ける体力があるのだろうか?と、私は内心不安がいっぱいでした。実は、ドクターも、この巨大な腫瘍がどれだけ縮小してくれるだろうと思っていた様です。抗がん剤治療に先立ち、オリエンテーリングの際、体力検査も行われました。ここで、母の筋力の多さに検査員が驚いたそうです。(だって母は、カーブスの計測では、身体年齢50代でしたから)そして、1回目の抗がん剤投与。その2日後くらいには、痒みと咳がピタッと解消されました。そして、下剤の処方により、便秘も解消された後は、食欲も戻り、2回目の投与を終えて退院しました。あとの6回は、通院で行いました。
髪の毛こそ抜けましたが、それ以外には大して辛い副作用も無く、日増しに元気を取り戻していきました。すると母は、「カーブスに行きたい。ダメかなあ」と言い出しました。そこで、ドクターに、カーブスのガイドを見せて確認したところ、「投与から10日~15日目くらいに白血球の数値が下がり感染し易い状態になるので、その時期を避ければ、体調に合わせて出来る運動なら良いですね」と許可が出ました。
8月4日、わずか2カ月半のブランクで、カーブスに復帰しました!!バンダナをかぶり、マスクをした母の姿は痛々しく思いましたが、筋トレを終えた母は、とても嬉しそうでした。「明日も来れる?」と、子供が母親にねだる様に私に聞いてきました。その日から、感染し易い日以外は毎日、母と私は一緒にカーブスに通いました。
そして、半年間の抗がん剤治療を終え、PET/CTの検査の結果、何と、すべての腫瘍が消えていました。ドクターも驚くほどの結果だったようです。抗がん剤治療で弱っていくどころか、治療中でもカーブスに通って体力を取り戻していった78歳になる母の頑張りを、私は誇りに思います。また、そんな母を励まし支えてくださった、コーチや仲間の皆さんに感謝しています。
そして私は今、母と一緒に過ごす毎日を、幸せな毎日を、神様が与えてくれた事に感謝しながら楽しんでいます。この幸せな日々が、何年も続きますように・・と、願いながら。